大穴メーカーとして知られた大庭和弥騎手(41)が、3月31日付で騎手免許を返上した。2001年の初騎乗から足かけ24年のジョッキー生活。免許を更新したばかりで突然とも取れる引退の理由を語った。

「いろいろなタイミングか重なってこの時期になりました。去年の暮れに(所属していた)小手川厩舎から声をかけていただき、2~3カ月考えた。将来を考え、スタッフの1人として力になると決めました。潮時でした」

デビューから平地と障害の二刀流を貫き、JRA通算4308戦124勝(平地89勝、障害35勝)。最近10年は3勝→1勝→1勝→2勝→0勝→3勝→0勝→1勝→0勝→1勝と低迷した。生活は苦しかった。

「僕はあまりお金を使わないのですが、貯金を取り崩しながら続けていました」

レースに騎乗する際は、若い頃から常に自らが設定する課題と向き合ってきた。最近は課題を解決するまで時間がかかるようになっていたという。

「レースに対して向上心はあったが、やろうとする乗り方ができなくなっていました。経験値はたまっても、技術的に直したい課題ができなくなることが増えていた。随伴(馬の飛越に合わせて体を移動)する時の姿勢を直したかった。馬に負担をかけない随伴を1年ぐらいかけてやってきた。一番最後のレースでできたんですけど…」

3月3日小倉の障害未勝利戦トラファルガー(4番人気5着)。結果的に最後の騎乗となったレースで克服するとは何とも皮肉だ。

今年13戦して馬券圏内に入った3頭は5番人気(3着)、9番人気(1着)、12番人気(2着)と相変わらずの穴男ぶり。乗り方にはこだわりがあった。

「決め打ちは全くしない。とことん馬のリズムを大事にしてきた。馬に負担をかけない走り方をさせるのがモットー」

重賞勝利こそないが、2着は4回。特に重賞初騎乗の03年中山牝馬S(14番人気テンエイウイング2着)と、「とてもかなわない相手だったが、インからすごい脚を使ってくれた」という09年ファルコンS(12番人気カツヨトワイニング2着)は強烈なインパクトを与えた。それでも思い出に残る馬はと問うと、勝った馬たちではなかった。故障で競走生命を断たれ、時には命を落としてしまった相棒のことが、真っ先によぎった。

「パンクとかメンタルきつかった。勝った方は意外に印象に残っていないんですよね。ごめんなさいという気持ちが先に来ます」

心優しい穴男は、ステッキを置くにあたってこう伝える。

「個性的なジョッキーが1人いなくなります。営業しているつもりでしたが、全然足りなかったんでしょうね。それでもここまでやって来られたのはありがたい。最初に所属した嶋田潤先生をはじめ、乗せていただいた全ての皆さまに感謝しています。これからは僕は僕の馬作りを、新しい形で新しい道を追求します。どうすれば走るか。その追求はやめない」

4月1日からは小手川厩舎の調教助手として再スタートした。悩んだ末の決断だったが、写真撮影の笑顔に救われた。【取材・構成=岡山俊明】

 

◆大庭和弥(おおば・かずや)1982年(昭57)岩手県生まれ。01年3月3日にセタノホラフキでデビュー(15着)。初勝利は02年2月3日カオリハイパー。JRA通算4308戦124勝、地方69戦0勝。100勝の区切りは作家・浅田次郎氏所有のライブインベガスで挙げた。