今春に引退する調教師が語る「明日への伝言」第3回は、栗東・佐々木晶三調教師(70)が思いを伝える。騎手として79年桜花賞、調教師として13年ダービーと牡牝クラシックを制覇。佐藤哲三元騎手(現日刊スポーツ評論家)との名コンビではタップダンスシチー(03年ジャパンC、04年宝塚記念)など記録にも記憶にも残る名馬を輩出した。また昨年には、史上8人目となるJRA全10場重賞制覇も達成した。【取材・構成=明神理浩】
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おやじが競馬ファンでした。男兄弟3人(全5人)のうち誰かを騎手にしたかったみたいです。実家が山口県で、自分も中2からおやじに連れられて小倉開催の時は結構行ってました。
74年に騎手デビューしました。数字を見せてもらうと、順調に勝っているんですが(74年から19→25→27勝)、騎手時代は腹が減ってる記憶しかないんです。体質的に減量がきつかったんです。79年にはホースメンテスコで桜花賞を逃げて勝つことができました。すごく怖がりなんで、レースは行った方がいいなと思っていました。大雨が降っていて、残り250メートルくらいのところに水たまりがあったんです。ハナに行ってるから、そこで飛ぶんじゃないかと思って目をつぶった覚えがあるんです。そしたらバシャバシャと音がして無事、通過してくれたんです。今で言うG1初騎乗で初勝利でした。でもそれがあの79年の初勝利。4年目ぐらいから減量がかなりきつくなっていて、もう限界かなと思っていました。
84年に騎手をやめて調教助手になりました。調教師試験には94年に合格。その年の11月に急きょ開業することになりました。最初は馬が集まっていないので厳しかったです。例えば9着なら9頭立てとか、着順から出走頭数がわかるぐらいでしたから。
開業して9年目の02年朝日チャレンジCのタップダンスシチーで佐藤哲三(元騎手)とのコンビが始まりました。タップは難しい馬だったんですけど、うまいな、仲良くやってるなと思いました。それまでもピンポイントで乗ってもらって、うまいなとは思っていたんですけど、なかなか縁がなかったんですよね。その時から哲ちゃんとのコンビで、キズナの2勝目の黄菊賞まで10年で130勝、重賞を21勝しました(JRAのみ。02年以前に97年愛知杯サクラエキスパートの勝利あり)。
哲ちゃんの技術にもほれ込んでいたけど、考え方もです。タップダンスシチーから重賞が楽しいと思えるようになったんです。哲ちゃんが「せっかくの重賞だから楽しんできます」と言ってくれて。おー、そういう考え方なんだと。そうですよね。重賞なんてそうそう勝てるもんじゃありませんものね。それからは重賞に限ってファン目線で見ていました。1人のジョッキーが乗り続けてくれたのはありがたかったですね。馬のためにも良くて、故障も少なかったんです。
ダービーを勝ったキズナは最初から良かったですね。最初に見に行った時から持ってる雰囲気が全然違っていました。(ノースヒルズの)前田会長に「ダービーを勝ちます」と言ったくらい。それだけオーラが違っていました。キズナはいい種牡馬にもなりましたね。成功すると思っていました。
JRA全場重賞制覇は、最後に残った新潟を最後の最後でキズナ産駒のインプレスが鮮やかに勝ってくれました(25年8月新潟ジャンプS)。うれしかったですね。今思えば、もうあかんなって時に何かが出てきてくれるんです。節目、節目で何かいい馬が。今も最後のところでラムジェットが出てくれました。
ここまでの競馬人生は恵まれすぎ。よくできたなという感じです。まったく成績の出てない時から助けてくれる人がいて、馬がいてここまでこられました。心の底から感謝しています。
引退後は好きな旅行を存分に楽しみたいですね。今までは競馬のことが頭にあって、心の底から楽しめない自分がいましたから。何年かしてそれに飽きたら、馬券で応援する馬、騎手、厩舎を見つけたいです。僕の家系は馬券好き血統で、やり出したらはまりそうなので、そのへんは加減しながらと思っています(笑い)。
◆佐々木晶三(ささき・しょうぞう)1956年(昭31)1月15日、山口県生まれ。74年に栗東・中村武志厩舎で騎手デビュー。JRA通算136勝。重賞は79年桜花賞(ホースメンテスコ)と80年京都新聞杯(オーバーレインボー)の2勝。84年に騎手を引退して調教助手に。94年調教師試験合格。同年11月21日開業。JRA通算7552戦677勝(2日現在)。重賞は53勝。JRA・G1は03年ジャパンC(タップダンスシチー)、13年ダービー(キズナ)、15年中山大障害(アップトゥデイト)などJ・G1を含めて7勝。

