ロサンゼルス(LA)で有名な日本人と言うと米大リーグのエンゼルス大谷翔平投手や元ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄氏ら野球選手や渡辺謙などハリウッドスターの名前を思い浮かべる人も多いと思いますが、実は日系3世の宇宙飛行士エリソン・オニヅカ氏はリトルトーキョーの道路の名前にもなっているほどの有名人です。福岡にルーツを持つ父と広島の母の間に誕生したハワイ生まれのオニヅカ氏は、1985年にアジア系アメリカ人初の宇宙飛行士としスペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗して宇宙に行ったことで知られています。日系人としてももちろん初の快挙で、当時の地元メディアでも大々的に報じられたそうです。

日系人初の宇宙飛行士となったオニヅカ氏の功績をたたえるモニュメント
日系人初の宇宙飛行士となったオニヅカ氏の功績をたたえるモニュメント

そして、翌86年1月に2度目となる宇宙旅行に挑みましたが、オニヅカ氏が搭乗したチャレンジャー号は大衆が見守る中で打ち上げからわずか73秒後に爆発し、7人の宇宙飛行士全員が殉職しました。39歳と言う若さでした。日系社会の希望の星だったオニヅカ氏の死は当時のLAの日系人にも大きな衝撃を与えたと言います。そして、彼の名前を後世に語り継ぎ、功績を称えるためにリトルトーキョーにモニュメントが作られ、「オニヅカ・ストリート」と言う短い道もできました。日本人をルーツにしていることを誇りに思い、常に謙虚な姿勢で宇宙への夢を子供たちに語っていたオニヅカ氏の偉業は日系社会に留まらず、「全ての人々は次世代のために、さらなる高みを目指して努力しなければならない」という彼の言葉はアメリカのパスポートの最後のページにも刻まれています。

リトルトーキョーにある宇宙飛行士エリソン・オニヅカ・ストリートと名付けられた道路の標識
リトルトーキョーにある宇宙飛行士エリソン・オニヅカ・ストリートと名付けられた道路の標識

リトルトーキョーのショッピングモール、ウェラコートの前にスペースシャトルの像と共にオニヅカ氏の功績を称える記念碑があるので、LAのダウンタウンを訪れる方はぜひ探してみて下さい。そしてこの記念碑がある通りの名前は、「オニヅカ・ストリート」と名付けられており、現地LAに住んでいる日本人には誇らしい存在だったことが良く分かります。ちなみにリトルトーキョーには他にも第二次世界大戦中にナチス・ドイツの迫害から多くのユダヤ人を救った「命のビザ」を発給した外交官の杉原千畝氏の銅像もあります。こちらは1st Stとセントラル・アベニュー近くにあるスターバックスのすぐ近くにあるベンチに腰掛ける等身大の銅像で、手には命のビザを持っています。そしてもう一人、二宮尊徳の銅像もあり、背中に薪を背負い、左手に本を広げて持つ日本でもおなじみのあの姿をここLAでも見ることができます。第二次世界大戦中の1942年に日本人や日系人が強制収容されたことでゴーストタウンになったリトルトーキョーですが、今も当時の雰囲気を残す場所がいくつか残っているので歴史をたどって散策してみるのも楽しいですよ。

オニヅカ氏の偉業を伝える看板も
オニヅカ氏の偉業を伝える看板も

(米ロサンゼルスから千歳香奈子。ニッカンスポーツ・コム「ラララ西海岸」、写真も)