高砂線は山陽本線の加古川駅(兵庫県)と山陽電鉄高砂駅(同)を結ぶ国鉄路線だった。明石~姫路間で東西に走る国鉄と山陽電鉄をつなぐ貴重な存在だったが、JR移管前に廃線となった。都市部の廃線跡は、すぐ宅地などに替わり、跡を探すのが困難なものが多いが、高砂線については分かりやすく残っている部分が多い上に旅客営業はわずか6キロほどで散策コースとしても十分に楽しめる。昨年そして今年と、いずれも11月にふらり訪ねてみた。

高砂線のルート
高砂線のルート

高砂線は加古川から南下する路線だったが、線路は加古川駅から北に向かう加古川線と同じ線路をしばらく走った後に分岐。山陽本線をオーバーパスして南下していた。以前はその部分も残っていたが、加古川駅(写真1)が高架化される際の工事で遺構が姿を消してしまったため、分かりやすい野口駅跡からスタートしよう。

〈1〉高砂線の起点だった加古川駅。当時は地上駅だった
〈1〉高砂線の起点だった加古川駅。当時は地上駅だった

野口は加古川市役所のすぐそば。加古川駅から徒歩約20分(バスもある)。駅跡にはモニュメントがあるので分かりやすい(写真2、3)。

〈2〉野口駅跡は車輪と駅名標が設置されている
〈2〉野口駅跡は車輪と駅名標が設置されている
〈3〉駅名標の裏に高砂線野口駅の歴史が書かれている
〈3〉駅名標の裏に高砂線野口駅の歴史が書かれている

また別の機会に紹介することになると思うが、野口はこちらも廃線となった別府(べふ)鉄道の始発駅でホームを共有していた。ちなみに70年代は内子線の項(11月12日)で取り上げた五郎駅と合わせると「野口五郎」になる駅としても取り上げられていたという。

地図を見れば分かるが神戸市内の須磨付近から寄り添って西へ進んできたJRと山陽電鉄は明石から南北に分かれて姫路を目指す。両者の距離は徒歩では難しい部分があるにもかかわらず、南北を結ぶ鉄道路線は存在しない。明石と姫路の中間あたり、つまり加古川付近で南北をつないでいたのが高砂線であり別府鉄道である(※)。利便性に富んでいるように見えるが、実際には利用者の減少で両者とも84年に廃線となった。

廃線跡は山陽本線との交差付近から道路として整備されていて野口の次の駅の鶴林寺まで徒歩10分ほど。聖徳太子によって建てられたという鶴林寺は本堂と太子堂が国宝となっている名刹(めいさつ)で多くの人が訪れる(写真4)。

〈4〉現在バス停になっている場所が鶴林寺駅跡だと思われる。鶴林寺は道路をはさんだ右手にある
〈4〉現在バス停になっている場所が鶴林寺駅跡だと思われる。鶴林寺は道路をはさんだ右手にある

駅は現在のバス停あたりにあったと思われる。ここで少し寄り道してほしいのは鶴林寺に隣接する鶴林寺公園(写真5)。かつて高砂線で活躍していたC11蒸気機関車が静態保存され、なぜか東加古川駅の国鉄時代の駅名標が設置されている(東加古川は山陽本線の駅)。

〈5〉C11蒸気機関車と東加古川駅で使われていた駅名標
〈5〉C11蒸気機関車と東加古川駅で使われていた駅名標

鶴林寺のすぐ南側の国道250号をくぐると廃線跡をたどってきた道路は、2つに分かれるが、右斜めに、いかにも鉄道らしいカーブで折れていくのが廃線跡(写真6、7)。車がすれ違える十分な広さの道路となっているが、山陽電鉄と交差していた地点まで行くと明らかに廃線跡だと分かる。

〈6〉国道250号をくぐった後に逆方向を見る。高架向こうの左が鶴林寺、右が〈4〉のバス停
〈6〉国道250号をくぐった後に逆方向を見る。高架向こうの左が鶴林寺、右が〈4〉のバス停
〈7〉廃線跡は広い道路となっている
〈7〉廃線跡は広い道路となっている

レンガ構造で、この部分だけが狭く、ちょっと大きい車だとすれ違いが難しい幅(写真8、9)。ここを拡張しようとすると山陽電鉄の運行に影響を与えると判断されたのだろう。

〈8〉山陽電鉄との交差部分
〈8〉山陽電鉄との交差部分
〈9〉おそらく昔からのレンガ構造となっている交差部分は狭い。抜けたすぐ左に尾上駅があった
〈9〉おそらく昔からのレンガ構造となっている交差部分は狭い。抜けたすぐ左に尾上駅があった

山陽電鉄はこの部分だけ築堤でかさ上げされている。高砂線も山陽電鉄も大正期の敷設(正確に言うと両線とも別の会社が開業させた)だが、高砂線の方が先に線路を敷いたため、山陽電鉄が築堤で上に行くことになったと推測される。高砂線の尾上駅は山陽電鉄と交わる地点のすぐ南側にあった。少し離れたところにモニュメントがある(写真10)。

〈10〉尾上駅があったことを示すオブジェ
〈10〉尾上駅があったことを示すオブジェ

高砂線はここからカーブして山陽電鉄と並んで高砂を目指していた。廃線跡の道路もそのコースで進んでいき、山陽電鉄尾上の松駅に到着する(写真11~13)。

〈12〉尾上の松駅。現在は鶴林寺への最寄り駅となっている
〈12〉尾上の松駅。現在は鶴林寺への最寄り駅となっている
〈11〉高砂線の踏切跡が残っている。奥に見えるのは山陽電鉄の踏切
〈11〉高砂線の踏切跡が残っている。奥に見えるのは山陽電鉄の踏切

以前は300メートル東、つまり尾上駅により近い位置にあったという。鶴林寺の目の前に駅があった高砂線の廃線で尾上の松が現在の最寄り駅。「鶴林寺」の副称がついている。

〈13〉尾上の松駅の駅名標。鶴林寺の副称がついている
〈13〉尾上の松駅の駅名標。鶴林寺の副称がついている

ここからの廃線跡もレールはないものの遺構が数多く残る。廃線から36年といえば、かなりの年数だが、都会部分で、これほど目の当たりにできるのは、なかなか貴重だ。どんどん進んで行くことにする。【高木茂久】

※別府鉄道には2つの路線があり、1つが本文中に出てきた野口線で別府港(加古川市)までを結んでいた。もう1つが土山線で山陽本線の土山駅(播磨町)と別府港の間を走っていた。