徳島県の板野駅でかつて高徳線から分岐していたのが鍛冶屋原線である。わずか7キロにも満たない路線は、大正期に敷設されながらも約50年前の1972年(昭47)に廃線となった。多くの路線が廃止された国鉄路線だが、JR移管(昭62)のはるか前となる昭和40年代の廃線は早い。かなりの赤字路線だったことは想像できるが、一体どのようなところを走っていたのか。現地を訪ねた。(訪問は2019年10月27日)

 
 

旅のスタートは板野(写真1、2)。板野町の中心駅で全特急停車駅。高松と徳島を結ぶ幹線の高徳線は、徳島からここまで来ると北に向く。旧鍛冶屋原線は直線だった。「道なり」という言葉に例えれば「線路なり」である。地図を見れば明らかだし、現地に行けば一目瞭然。これは…と思って調べると、もともとは大正期に鍛冶屋原に向かう線路が先にできていたという。

〈1〉板野駅は板野町の中心駅で全特急が停車する
〈1〉板野駅は板野町の中心駅で全特急が停車する
〈2〉徳島方面からの普通は多数が板野駅で折り返す。香川県境をまたぐ普通はわずかしかない
〈2〉徳島方面からの普通は多数が板野駅で折り返す。香川県境をまたぐ普通はわずかしかない

すでに全通していた現在の徳島線へと合流する予定だったという。昭和になってから高松からの線路がつながって高徳本線(現在の高徳線)となり、板野~鍛冶屋原は鍛冶屋原線として分離された。約7キロの鍛冶屋原線は延伸されることなく、いわゆる盲腸線のまま戦前戦後を過ごすことになる。廃線の歴史を見ると対象となるのは圧倒的に盲腸線である。しかも距離が短いほどターゲットになりやすかった。赤字路線だった鍛冶屋原線は早々に姿を消した。昭和40年代の廃線はかなり早い。

廃線跡を進んで行く。廃線をたどる時、私はできるだけ予習は簡単に済ませるようにしている。その方が発見の喜びが増すからだ。もちろん、そのおかげでわざわざ遠方に足を運びながら見落とすものも多いが、後で旅を振り返りながら、私より先に訪れた人の足跡で「答え合わせ」をするのも、楽しみのひとつである。

ただ鍛冶屋原線については、板野以外わずか4駅しかないので、これはなかなか見逃せないぞ。広い道路を歩いていくと、ひとつ目の駅は犬伏(いぬぶし)。ファミリーマートのあたり。道路をはさんだ向かいにはローソンが見える。実はこの光景こそが現状の大きなポイントのひとつでもあるが、それは後に回そう。犬伏コミュニティーハウスの敷地内に小さな石碑がある。バス停も犬伏。なかなか年季が入っているが現役だ(写真3~6)。

〈3〉犬伏駅があったと思われる場所付近。バス停がないと気づかないかもしれない
〈3〉犬伏駅があったと思われる場所付近。バス停がないと気づかないかもしれない
〈4〉犬伏のバス停
〈4〉犬伏のバス停
〈5〉かなり年季の入ったバス停だったが、現役である
〈5〉かなり年季の入ったバス停だったが、現役である
〈6〉コミュニティーハウスの敷地内に設置されている犬伏駅跡の石碑
〈6〉コミュニティーハウスの敷地内に設置されている犬伏駅跡の石碑

次の駅は羅漢(らかん)。犬伏からわずか2キロだが、後で調べると、これが鍛冶屋原線の最長区間。7キロで4駅なので、どこも駅間は短い。ただ犬伏については、現状駅があった雰囲気は何もないので、バス停がないと気づかなかった可能性もあったが、こちらは分かりやすかった。当時からあったものかどうか分からないが、タクシー会社があって郵便局がある。これはどう考えても「駅前」の名残だろう。

バス停があって近くをキョロキョロしながら歩くと、羅漢老人憩いの家の敷地内に犬伏と同様の石碑がある。犬伏もそうだったが、こうした公的施設の中に設置するのは、良いアイデアだと思う。フェンス越しにしか見られないのは残念だが、石碑を守るという意味では優れている(写真7~9)。

〈7〉羅漢のバス停
〈7〉羅漢のバス停
〈8〉石碑は憩いの家の敷地内に設置されている
〈8〉石碑は憩いの家の敷地内に設置されている
〈9〉国鉄羅漢駅跡の石碑
〈9〉国鉄羅漢駅跡の石碑

あと2駅だが、それにしても順調すぎる。板野からここまで、県道に沿ってやってきたが、かなりの交通量で車がビュンビュン通る。ここ羅漢にもコンビニがあり、道路沿いの飲食店にいくつも出会った。このような言い方は失礼かもしれないが、過去の廃線探しの経験からすると、地方の廃線跡というのは、現状から想像もできないコースを通っていたりして苦戦したことも多い。気を引き締めて先に向かうことにした。【高木茂久】

※名前はよく似ているが、国鉄には鍛冶屋原線とは別に鍛冶屋線も存在した。兵庫県の加古川線から分岐、西脇市の中心部を経て現在の多可町にあった鍛冶屋駅に至っていた路線で、こちらも盲腸線だった。JRに引き継がれたものの平成に入って間もなく廃線となった(写真10)。

〈10〉鍛冶屋駅跡は記念館となっている(2015年5月)
〈10〉鍛冶屋駅跡は記念館となっている(2015年5月)