おそらく、泣いていたと思う。ヤクルト三輪正義内野手は4日の阪神戦で1点を勝ち越した直後の延長11回1死一塁、左前の飛球に突っ込んで後逸(記録は三塁打)。同点の走者の生還を許し、その後のサヨナラ負けへとつながった。失策はつかなかったが、敗因になったことは明白だった。帰りのバスが待つ地下駐車場への階段を、厳しい表情のまま下っていく。「後逸してしまって申し訳ないと思います」。ようやく声を絞り出した時、目尻が少し光っているように映った。

 4日前は笑顔にあふれていた。7月30日、独立リーグ出身選手としては初めて、国内フリーエージェント(FA)権を獲得。休養日空けの翌31日の試合前練習後、守備、代走、犠打で生きる男が、多くの報道陣に囲まれた。「僕の人生は何も変わるわけじゃないけど、プロ野球選手をやったという証し、というか。使ってくれた首脳陣の方、特に小川監督は1軍に来始めた時に使ってくれたから今があると思っています。アイランドリーグがなければプロには入っていないのでとても感謝しています。僕はたいした選手じゃないけど、そういう人たち(独立Lの選手)にちょっとでも頑張ってもらえれば、それに越したことはないです」。照れくさそうに話しつつも、少し誇らしげに映った。

 三輪には「苦労人」という枕詞(まくらことば)がつきまとう。下関中央工(山口)から四国IL・香川をへて、07年大学生・社会人ドラフト6巡目で入団。守備、走塁、犠打と小技を磨いて生き抜いてきた。プロまでの道のりを含めて「苦労人」と言われことが多いが、三輪は大きく首を横に振った。「苦労っていう言葉は好きじゃないです。だって強豪校で野球をしてきた人の方が、絶対に苦労していると思うから。自分は、そこでしか野球ができなかっただけ。その時にできることを必死にやってきただけで、苦労をしたことはないですから」。苦労と言ってしまえば、自分が歩んできた環境、世話になった人たちが「苦労を強いるところ、人」になってしまう。与えられた境遇こそ、運命。常に前向きに明るく取り組んできた日々の積み重ねで、プロ野球選手としての“勲章”を手にすることができた。

 自分のアイデンティティーの1つでもある守備のミスによるショックは、そう簡単に消えることはないだろう。それでも「頑張ります!」と、毎日元気よくグラウンドに飛び出し、守備練習に精を出す。声を出し、犠打、走塁の準備に励む。空元気だっていい。「苦労」の二文字を好まないいぶし銀に、暗い顔は似合わない。【ヤクルト担当 浜本卓也】