センバツの21世紀枠で帯広農が初めて選出された。日刊スポーツでは連載「帯農なつぞら旋風 育て人 支え人」と題し、野球部を築き、支えた人物を3回にわたって紹介する。1回目は82年夏の甲子園出場時のエース加藤浩一さん(55)。前代未聞の“4アウト”を経験し敗れた先輩が、後輩たちにリベンジの1勝を託した。

後輩の吉報を心から喜んだ。82年夏甲子園時のエースだった加藤さんは「秋の活躍からすごいと思っていた。今は公立校が甲子園に出るのは難しい。ここまできたら思い切ってプレーしてきてほしい」と熱いエールをおくった。

キレのあるカーブと緩急を生かし打ち取る、頭脳派左腕だった。82年夏の北北海道大会は3戦27回4失点。計4四球と安定感ある投球で初優勝に導いた。だが、ひじを痛め8月に関西入りするまで投球回避。8月11日、甲子園での益田戦(島根)は感覚が戻らず「思ったところにいかず6回ぐらいまでカリカリしていた」。結果は7四球5失点での敗戦だった。

前代未聞の事態にも巻き込まれた。2-5の9回2死一塁、相手5番打者を二飛に打ち取り3つ目のアウトを取った後だった。「ベンチに帰ろうと思ったら誰も動かない。おかしいなと思ったが、捕手の佐々木(伸浩)も何も言わなくて」。2死になった際、球審がカウンターを入れ忘れ、スコアボードが1死のままだったことが原因だった。

結局、次打者を三ゴロに打ち取りベンチに引き揚げた。その際4本指を挙げたシーンが、テレビ映像にも映った。「今でも4アウトを取った人と言われる。嫌ではないが恥ずかしい。後輩には、もっと良い記録を残してほしい」と託した。

82年夏の甲子園は早実の荒木大輔投手が3年。「大ちゃんフィーバー」真っ盛りだった。「向こうはスター。自分たちとは注目度が違った。でも最近では金足農の頑張りもあった。帯広農も2つ3つ勝ったら、大きな話題になるのでは」。20年春、珍事ではなく勝利で注目されることを、願っている。【永野高輔】

◆82年夏の甲子園2回戦、帯広農対益田(島根) 初出場同士の一戦。帯広農が1-4の8回、1点を返すも、9回1死二、三塁から相手スクイズで1点を献上。その際、2ランスクイズを狙った二塁走者の本塁突入を阻止し2死一塁となったが、このアウトが審判のミスでカウントされなかったため“4アウト”につながった。試合は2-5で敗れた。

◆帯広農OGでリオデジャネイロオリンピック(五輪)ラグビー7人制女子日本代表の桑井亜乃(30=アルカス熊谷) 今は農業高校の時代ですね。大舞台は出ることへの喜びを感じて、自分がやってきたことをみなさんに見てもらう気持ちで。私も東京五輪出場へまだチャンスはあるので、焦らず自分を信じて頑張ろうと思います。