センバツの21世紀枠で帯広農が初めて選出された。日刊スポーツでは連載「帯農なつぞら旋風 育て人 支え人」と題し、野球部を築き、支えた人物を3回にわたって紹介する。最終回は帯広農OBで同校の農務従事員として野球部を支える桐山誠さん(59)。

かゆいところに手が届く。桐山誠さんはそんな人だ。帯広農OBで、96年に家業の酪農を離農。同年から道職員となり農務従事員として母校に赴任した。校内の農業機具の管理や操縦指導などを行い、業務の合間には野球部の練習道具や室内練習場の暖房器具の修理やメンテナンス、グラウンドの草刈りも引き受けてきた。「やれることをやっているだけだよ」と謙遜する。前田康晴監督(43)は「そろそろグラウンドの草を刈らなきゃと思うと、もう刈ってくれているんですよ」と言う。

前田監督が99年に帯広農に新任で赴任してきた当初からウマが合い、つきあいは20年を超える。桐山さんを「年の離れた兄さん」と例える。帯広市内の住まいも隣で、互いに夕飯に呼んだり、呼ばれたり。週末には2人で太平洋に夜釣りに出かけることも。桐山さんは前田監督について「一生懸命でパワーがあって子どもに本気で向きあっているから、助けてあげたいと思うよね」と言う。

冬になると、校内の倒木を集め、まき割りしてグラウンドを温めるたき火に使う。年明けに“雪上練習”をするためのグラウンド除雪作業も、桐山さんが行った。優しくさりげなく野球部を見守り支えてきた、影の功労者だ。

来年3月で定年退職。「定年前に甲子園出場が見られるなんて。今年は母校の100周年でもあるし、最高の節目になります」。前回甲子園出場した82年夏は、酪農作業の手を休め自宅のテレビにくぎ付けになった。敗れた夏から38年。「今度こそ勝ってほしい」。晴れ舞台を楽しみにしている。【永野高輔】(終わり)

◆桐山誠(きりやま・まこと)1960年(昭35)10月5日、忠類村(現幕別町)生まれ。忠類小、忠類中から帯広農に進み、卒業後、早来町(現安平町)で1年間の酪農実習を経て家業の酪農を継ぐ。96年3月で離農し、同年4月から道職員となり、帯広農の農務従事員に赴任。生徒寮の管理や農機具の整備、操縦指導などに携わる。現在は帯広市内で母親、夫人、長男と4人暮らし。