明徳義塾(高知)が日南学園(宮崎)にサヨナラで敗れ、初戦突破はならなかった。
6番右翼で先発した明徳義塾の筧遥真外野手(3年)は親子2代での白星を逃し、涙に暮れた。父の裕次郎さん(42)は2002年の明徳義塾の夏の甲子園優勝メンバーで、プロ入りして近鉄やオリックスでも活躍した。
試合後、父の存在について聞かれ「いつも助けてもらいました。感謝しかないです」と涙ぐみながら話した。入学後は4番捕手として活躍していた父の存在を知る人も多く、重圧にも苦しんだ。「打てないだけでプレッシャーになっていました。でも、やるしかないと割り切ってやってきました」。
甲子園出場を決めた際には父から「すごい場所だから、頑張れよ」と声をかけられた。県予選の決勝では調子を崩しており、打撃フォームを見つめ直した。「睡眠時間を削って素振りをさせてもらって。体が浮きあがっちゃうので、納得するまで振らせてもらいました」。ヒントになったのは父に「つけたらいいよ」とアドバイスされた野球ノートだ。見返すと過去に調子を崩した際に書いていたポイントが目に入った。「『焦らない。タイミングをゆっくりとる』と書いていて。それでできるようになりました」。
初の夏の聖地では4打数2安打。最後は足がつって途中交代もしたが「後悔はないです。楽しいことばかりではなかったですが、ここまで来られてよかったです」と晴れやかに話した。
スタンドでは裕次郎さんも息子の活躍を見守った。親子での甲子園出場がかない「月並みですけど、うれしいという言葉しかないですね」と笑い「思ったより普通にやっているから安心しました。力みもなくやっているかなと思います」と目を細めた。
息子へは主体性を重視した接し方を徹底してきた。
「そんなにガンガン言わず。言うだけではうまくならないと思っているので。本人のやるという気持ちがあって言う方が大事。本人が練習しようと言わない限りは言ってきてないです」と振り返る。
今回の試合前も連絡はあえてとらなかった。「本人には本人の野球観があると思うので。何も話さないようにしていますね」。明徳義塾が初の全国制覇を果たしたあの時からチームを率い続けている馬淵監督についても「親子で連れてきてもらって感謝しています」と語り「守備が大事だということは昔から言っていること。打てなくても勝てる野球をすることが監督の野球なので。もう70歳ですけど、元気ですよね。変わっていないなと思います」と懐かしそうにグラウンドを見ながら話した。

