高校野球、横浜高で甲子園春夏5度の優勝を誇り、通算でも51勝をあげた渡辺元智(わたなべ・もとのり)氏が死去したことが17日、分かった。81歳だった。神奈川県出身。高校野球界で一時代を築き、松坂大輔ら数多くプロ野球選手を育てた名将だった。

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渡辺監督の指導の根幹にあったのは、時代を超えて揺るがない情熱と、徹底した「人の心」を育てる教育だった。02年。翌春のセンバツ切符を手中に収めたある冬の日。東京湾からの冷たい浜風が吹きつける海浜公園で、渡辺監督は選手たちに熱いゲキを飛ばしていた。寒さに身を縮める記者を前に、当時58歳の監督は少年のように目を輝かせて話してくれた。「夢があるからやれるんだよ。その気持ちがなくなったらユニホームを脱ぐ」。

新チーム発足当初は「松坂の代とは比べものにならない」と酷評された世代。渡辺監督と小倉清一郎元部長のベテランコンビは、選手一人ひとりと向き合い、猛練習で鍛え上げた。「高い目標を置かなければ厳しさに耐えられない。戦力が整っていなくても日本一を目指す気持ちがチームを高める」。その情熱に導かれるように、成瀬(元ロッテ)涌井(中日)を擁して翌春のセンバツ準優勝を果たした。

渡辺監督が目指したのは技術の向上だけではなかった。その年のメンバーが寮で用意された食事を残してカップラーメンを食べていたことが発覚。すると「作ってくれた人の気持ちを考えろ!」と激怒。初めて渡辺監督が顔を真っ赤にして怒る姿を見た。勝利至上主義とは一線を画す、教育者としての厳しさが表れた瞬間だった。

冷たい雨の日も、寒風にさらされながらも絶やさなかった情熱。半世紀に渡って立ち続けたグラウンドの一角には、95年に17歳という若さで急死したかつてのエース丹波慎也投手のレリーフを建て、事あるごとに「丹波が見守ってくれてる」と口にしていた。どこまでも情に厚い方だった。その教えは、これからも多くの球児たちの心の中で生き続けるだろう。【鳥谷越直子】