2010年代が間もなく幕を閉じる。MLBのこの10年は、スタットキャスト導入とともにデータ野球が全盛となり、チャレンジ制の導入、フライボール革命と本塁打量産、ポストシーズンにワイルドカードゲームが導入されるなど、激動の時代だった。米国では西暦を10年ごとに区切り時代を語る文化が根付いているため、野球メディアでもこのところ10年代を振り返る企画がめじろ押し。そこで筆者もメジャーのこの10年間を振り返ってみた。

最も印象深かったシーズンは、2013年だ。ニューヨークを拠点として活動していたためヤンキースを中心に東海岸のチームを取材をすることが多かったのだが、当時のヤンキースにはデレク・ジーター氏、アレックス・ロドリゲス氏、そしてイチロー氏というスーパースター3人がそろい、そのスターたちが醸し出す華やかさとオーラと微妙なバランスで成り立つ関係性は興味深かった。A・ロッドは開幕からケガで長期離脱した上に、8月にはドーピングスキャンダルで211試合の出場停止処分を受ける大騒動が起こったが、そんな歴史に残る一大事の一部始終を間近で取材できたのも貴重な経験だ。このときの騒動がいかに大変だったかというと、イチロー氏でさえコメントしたくらいなのだから相当なものだった。「薬に対する知識がなさ過ぎてよく分からない。話には聞いたことがあっても、本当かどうか分からないし」と困惑気味のコメントだった。

7月には松井秀喜氏がヤンキースと1日契約を結んで現役引退セレモニーが行われ、イチロー氏は6月25日にメジャー2本目となるサヨナラ弾を放ち、8月21日には日米通算4000安打を達成。ヤンキースのチーム自体は地区3位と振るわなかったが、その代わり列車で何度も通ったボストンでは、レッドソックスが95年ぶりのワールドシリーズ制覇を果たし、上原浩治氏がクローザーとして、田沢純一投手がセットアッパーとして活躍した。

もう一つ、10年代といえば黒田博樹氏の活躍が印象深い。ドジャースに所属していた10年からヤンキース時代の14年まで、当時の日本人投手初となる5年連続2桁勝利をマーク。と同時に5年連続30試合以上に先発登板した。2桁勝利はヤンキース田中将大投手が今季、6年連続を達成し記録が塗り替えられたが、5年連続の30先発は日本人ではまだ他に誰もいない。ヤンキース2年目の13年は苦労をし、最終的には11勝13敗と負け越したが、それでもシーズンをまだ2カ月以上残す7月25日に10勝目を挙げた。当時の取材ノートを読み返すと、13年シーズン最終日に黒田氏が「僕の野球観では(野球は)苦しいものとの戦い」と言っており、その苦行僧のようなストイックさを懐かしく思い出した。(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「書かなかった取材ノート」)