プレーバック日刊スポーツ! 過去の9月6日付紙面を振り返ります。1993年の1面(東京版)はヤンキース・アボットがノーヒットノーラン達成の記事でした。

◇ ◇ ◇

<ヤンキース4-0インディアンス>◇4日(日本時間5日)◇ヤンキースタジアム

 米大リーグに新たな伝説が誕生した。生まれつき右手首から先がないという障害を乗り越え球界入りしたニューヨーク・ヤンキースのジム・アボット投手(25)が4日(日本時間5日)、ノーヒットノーランを達成した。本拠ヤンキー・スタジアムで、クリーブランド・インディアンスを相手に奪三振3、与四球5で、ヤ軍史上8人目(Wシリーズ含む)の偉業を果たした。大リーグ今季二人目、通算225人目(9回未満など含む)の快挙を今季10勝目で飾った。(AP)

 「右手が不自由な投手が大リーグ入りする」と聞いた時、だれもが驚いた。だがアボット本人は驚かなかった。自分はそれだけのことをしてきた、と自信があったからだ。今度ばかりは本人も驚いた。「ちょっと非現実的な気がする。興奮で死にそうだ。自分がノーヒットをするなんて考えたこともなかった」。

 9回先頭、イ軍1番ロフトンはセーフティーバントを仕掛けた(ファウル)。観衆からすごいブーイングが起こった。盗塁王ロフトンにとってバントは武器の一つで、恥じることはない。だが次は真っ向から打ちに来た。大リーガーのプライドだ。二塁ゴロ。次打者は中飛、最後のバイエガは遊ゴロに倒れ、大記録は達成された。イ軍はバント攻めの姑息(こそく)な手は用いなかった。

 「9回になってから、やっとノーヒットを意識した。だけど4、5回と同じように投げようと努めたよ」とアボット。生まれついて右手の手首から先がない。だが、自分をハンディキャップ(障害者)と意識することは決してない。ほかの人間にできることは、同じように自分にもできる、と信じてここまでやってきた。

 高校時代には相手が9連続バントを仕掛けたことがあった。アボットは8人をアウトにした。右腕の先にグラブをのせ、投球と同時に左手に持ち換えて守備をする「アボット・スイッチ」で、現大リーグの全投手の中でも守備力は一流と評価されている。ソウル五輪に米国代表として出場し金メダルを獲得、見事な守備は日本でも有名になった。

 昨年12月にエンゼルスからヤンキースに移籍した。決まった途端、球団事務所には段ボール4箱分のファンレターが押し寄せたという。不世出の奪三振王、レンジャースのノーラン・ライアン投手(46)が今季限りで引退を表明、球界に神話的な存在がいなくなってしまう、と嘆く声の多い中、アボットが少年少女の偶像になりつつあった。これで、より本物のヒーローに近づいた、との声も強い。

 この記録でまたファンレターの洪水が予想され、球団側は準備に入っている。手紙にはもちろん、障害児からのものが多い。アボットは必ず返事にこう書くという。「だれが何と言おうと自分を卑下するな。ハンディキャップだなどと思わないことだ」。

<ジム・アボット アラカルト>

 ◆誕生 1967年9月19日、ミシガン州フリント生まれ、25歳。

 ◆アボット・スイッチ 生まれつき右手首先がなかった。左手のグラブでボールを受け、素早くグラブを右腕の先端にのせると同時に左手でボールを取り出して投げる。ビール会社で働く父マイクさんの考案で、「アボット・スイッチ」と呼ばれるようになった。

 ◆野球 5歳のときから野球とフットボールを始め、8歳からリトル・リーグ入り。セントラル高に在学中だった85年にトロント・ブルージェイズから36巡目でドラフト指名を受けたが、ミシガン大進学の道を選んだ。

 ◆勲章 ミシガン大時代にはアマチュアスポーツ選手にとって最高の栄誉とされるサリバン賞、アマチュア球界のMVP・ゴールデンスパイク賞をダブル受賞。MVPにはボブ・ホーナー(元ヤクルト)も輝いている。

 ◆来日 88年の日米大学野球で来日。2試合9回2/3を投げ、計33打者と対戦してヒット1本に抑え込んだ。翌年には身体障害者との交流集会に招かれ、当時の海部首相と会談している。

 ◆金メダル 全米のエースとしてソウル五輪に出場し、見事金メダル獲得。

 ◆プロ入り 88年6月の米大リーグ・ドラフトでエンゼルスに1位指名され入団。翌年マイナー経験なしでメジャー昇格。ドラフト制度実施以降15人目(投手は10人)の快挙だった。1年目は12勝12敗。

 ◆教科書 日本の高校1年の英語教科書に物理学者ホーキング博士らとともに登場。

 ◆移籍 昨年、エンゼルスからヤンキースに移籍。年俸は2350万ドル(約2億5000万円)。

 ◆家族 父マイクさん(47)母キャシーさん(49)弟サードさん(21)。

※記録と表記は当時のもの