元ヤンキースの主将で名遊撃手のデレク・ジーター氏(45)が、文句なしの米国野球殿堂入りを果たした。21日(日本時間22日)、全米野球記者協会による投票結果が発表され、全397票のうち396票を獲得。得票率99・7%、満票にはわずか1票届かなかった。米国内では早くも“犯人捜し”が始まった。

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ジーター氏はMLBネットワークによるインタビューで「プレーヤーにとって最高の栄誉。(殿堂入りの)知らせが来ると皆から期待されていたが、正直、かなり緊張していた。決まった時は、言葉にならならなかった」と笑顔で喜びを語った。

92年にドラフト1位で入団し、1年目はマイナーリーグ58試合で打率2割1分。2年目は1シーズン56失策を喫するなど、壁にぶつかった。「ホームシックだったし、毎晩、泣いて、家族と電話していた。多くの助けがあって、素晴らしいコーチのサポートもあった」。どん底からはい上がり、95年にメジャーデビューすると、ヤンキース一筋で20年。03年からは主将として常勝軍団をけん引した。人種のるつぼと言われるニューヨークを本拠地とする中、アフリカ系米国人の父、白人の母を持つジーター氏は人種を問わず、尊敬された。

盟主のリーダーとして、厳しさも持ち合わせていた。移動の際のドレスコードを定める主将として、常にスーツ姿を基本とした。他球団がカジュアル化するのをよそに、紳士の服装を崩さなかった。公式戦が終わり、ポストシーズンが始まる直前、ミーティングで「オープン戦は終わった。これからが本番だ」と鼓舞した逸話は有名で、常に世界一だけを目指し続けた。

ワールドシリーズ制覇を5度経験し、メジャー20年で通算3465安打、260本塁打、打率3割1分の結果を残した。インタビュー中にはヤンキースの元監督、ジョー・トーリ氏から電話で祝福を受け、「本当に有り難う。僕のキャリアをサポートしてくれた人の中でも、ミスターT(トーリ氏)は最も特別な人」と感謝の言葉を並べた。

◆デレク・ジーター 1974年6月26日、米ニュージャージー州生まれ。92年ドラフト1巡目(全体6位)でヤンキース入団し、95年5月に初昇格。96年新人王、99、12年最多安打。球宴14度選出、遊撃手で5度のゴールドグラブ賞。00年球宴とワールドシリーズでともにMVP。8度のシーズン200安打は歴代4位タイ。ポストシーズン通算158試合出場、200安打、111得点は歴代1位。通算成績は打率3割1分、260本塁打、1311打点、358盗塁。通算3465安打は歴代6位。16年にモデルのハンナ・デービスと結婚。背番号2は永久欠番。17年9月にマーリンズの最高経営責任者に就任。

★米国野球殿堂アラカルト

◆創設 1936年。初代メンバーはベーブ・ルース、タイ・カッブ、ホーナス・ワグナー、ウォルター・ジョンソン、クリスティー・マシューソン。

◆殿堂入り資格 記者投票で選ばれる競技者部門は、原則としてメジャーで10年以上プレーし引退から5年以上経過した選手。これ以外にも元選手などで構成される選考委員により投票で漏れた選手、指導者、審判、球団幹部らが対象となる。

◆選出方法 全米野球記者協会に10年以上所属した記者に投票資格が与えられ、最大10人に投票。75%以上の得票で選出される。5%以下、もしくは殿堂入り資格を得てから10年を超えた場合は資格を喪失。

◆累計人数 新たに2人が加わり計333人が殿堂入り。内訳は元選手が235人、ニグロ・リーグの選手が35人、球団幹部が31人、監督が22人、審判が10人。

◆ポジション別 投手83人、捕手19人、一塁手24人、二塁手21人、三塁手17人、遊撃手26人、左翼手22人、中堅手24人、右翼手26人、指名打者2人。

◆最高得票率 19年のマリアノ・リベラ氏が唯一の満票で100%。2位は今年選ばれたジーター氏の99・7%で、3位から16年ケン・グリフィー氏の99・3%、92年トム・シーバー氏の98・83%、99年ノーラン・ライアン氏の98・79%と続く。

◆殿堂入り博物館 ニューヨーク州クーパーズタウンに位置し、1939年に設立された。毎年夏に殿堂入りセレモニーが行われる。