「クオータースロー」を目指す子どもたちのお手本に! 監督推薦で球宴に初選出された阪神青柳晃洋投手(25)が日刊スポーツの特別インタビューに応じ、意気込みを語った。2回掲載で第1回は、球界でも珍しい投法を始めたきっかけや、子どもたちに伝えたい思いを語った。【取材・構成=磯綾乃】

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青柳は夢舞台で伝えたいことがある。

「子どもに影響を与えられたらすごくいいなと思う。やっぱりこういう投げ方(の人)がいないので。こういう投げ方でもプロとしてやっていけるというか、こういうピッチャー、こういうスタイルもありなんだよって」

甲子園のクラブハウスにファンレターが届く。異色の投げ方を貫く右腕は子どもが憧れる立場になった。

「(手紙で)小学生ぐらいの子から『僕もサイドスローで投げたいんですけど、どうやったらコントロール良くなりますか?』とか『どうやったらそういうふうに投げられますか?』と。すごく純粋にうれしかったですね。書いて答えて返しました」

「クオータースロー」のきっかけは野球を始めて間もない小学6年生の時だった。

「上投げが苦手でした。上から投げてもスリークオーターみたいな形になってしまう。それで『サイドスローどうだ?』ってコーチに言われて。やってみて、はまりました」

速球派を目指していた当時は戸惑いもあった。

「僕、小学生の時に西武の松坂(大輔)さんに憧れていて、上から速いボールを投げたい気持ちがすごくあったので抵抗はありました。でも自分に向いているのがそっち(クオータースロー)だった。中学1年生の時に1回、オーバー(スロー)にしようとしたんですけど、ちょっと肘を痛めて、結局向いてないんだと思いました(笑い)」

どのステージでも、最初は物珍しそうに見られる。

「どこにいっても1年目はばかにされる。中学校もそうですし、高校1年でいきなりサイドスローで投げてたら、みんなに面白がって物まねされたり」

だが、結果で周りを認めさせてきた。自信がつき、コンプレックスも消えた。

「高校に入った時にバッターから『打ちづらい、嫌だ、怖い』と聞いてからは、ああこれで良かったんだなって思いましたね。上投げで僕より速い人がいたとしても、その人が打たれるけど、僕は抑えられることが結構ありました。結果で勝ってきました。しかもこの投げ方だからプロに入れたというのもある。この投げ方で良かったなと思います」

それでも時に横投げへの偏った見方があると悲しく思う。

「テレビでやってたんですけど、コーチや監督がサイドスローは駄目だ、体を壊すと。頭ごなしにやめろと言っていたのを見て、そんなことないのになあ、と思った。現に僕もずっと小学校からやってきていますが、大きなケガも特にない。やりたい、向いてると思ったら、本当にどんどんやってほしいなと思いますね」

13日、甲子園で出番を迎える。

「阪神ファンじゃない人でも野球ファンがみんな見る試合だと思う。そういう中でも少しでも見てもらって、目に留まることができたらいいなと思います」

「クオータースロー」で打ち取る姿を見せたい。(つづく)

○…「クオータースロー」の名付け親は、青柳の大学時代の友人だ。「スリークオーターって4分の3って意味じゃないですか。4分の1だからクオーターでいいんじゃない?って言い出して」。サイドとアンダースローの間ということから、名付けられたようだ。青柳は「僕は呼んでないんですけどね」と笑った。