「てめぇー、またやりやがったなぁー。今度という今度は許さねぇからな。うりゃァァァァァァー」「やかましい、文句があるんだったら、かかってこいやー。おんどりゃァァァァァァー」という感じで乱闘は始まる。

危険球、相手を侮辱する言動、スポーツマンシップから外れた行為、乱闘の引き金はさまざま。一気に沸点に達した感情を抑え切れず、暴力に訴え出るのは許されるわけではない。しかし体が資本のプロ野球の世界、故障をすれば来季の保証はない。気がつけばマウンドに向かって走ってしまう気持ちは分かる部分もある。我慢と自粛が要求される現在とは対極にある憤怒の暴走、記憶に残るシーンを一挙公開します。


(1)68年9月18日、阪神対巨人

 
 

ダブルヘッダーの第2試合にバッキー(4)が先発。第1打席で死球を受けていた王に2球続けて内角をつく厳しい球を投げ込んだ。これに巨人荒川コーチが激怒し乱闘に発展。荒川コーチを殴ったバッキーは右手親指を骨折した。翌年近鉄に移籍、引退した。


(2)78年5月30日、巨人対大洋

 
 

門田(右)が投げた危険球にシピンが怒りパンチの連打を浴びせた。この年、大洋から移籍したばかりのシピン。「昨日の敵は今日の友」とは逆をいく古巣の選手への行為だった。


(3)86年6月13日、西武対近鉄

 
 

シュートを武器に強気に内角を攻めるのが東尾の持ち味。そのシュートがデービス(左)の右肘を直撃し大騒動へ。「コントロールのいい投手がああいう所に投げるのは故意としか考えられない」とデービス。東尾の与死球165は今も破られていない記録、「ケンカ投法」の著書もある。


(4)87年6月11日、巨人対中日

 
 

伝説の乱闘は熊本・藤崎台球場を舞台に勃発した。7回裏、ストレートを右脇腹に当てられたクロマティ(右)が激高、謝罪の様子もない宮下の顔面にお返しの右ストレートをヒットさせた。この後、星野監督も加わり両軍入り乱れての大乱闘となった。


(5)89年9月23日、西武対ロッテ

 
 

平沼(右)から左肘に死球を受けた清原は同投手にバットを投げつけ、膝蹴り。清原の通算死球は196個で2位阪神竹之内166個を大きく引き離し1位である。


(6)91年5月19日、ロッテ対近鉄

 
 

秋田で行われた一戦、9回に死球を受けたトレーバー(中央)が激高、1度は落ち着いたかに見えたが怒りが収まらず金田監督に詰めより再乱闘。トレーバーが足を滑らせ転倒すると同監督の右足が顔面をとらえた。


(7)98年7月31日、阪神対巨人

 
 

6回裏、坪井に対し勝負を決めにいったガルベスの投球を橘高球審はボールと判定。その後に本塁打を浴び交代を告げられた。ガルベスは怒りが収まらず、ベンチ前で振り返り橘高球審に対しなじみの舌出し投法で投げつけた。球団からは無期限出場停止と罰金、リーグからはシーズン終了までの出場停止処分を受けた。責任を痛感した長嶋監督は頭を丸めた。


(8)02年7月25日、阪神対巨人

 
 

7回裏、入来が投じたボールはアリアスの背後に大きくそれた。歩み寄ったアリアスに対し入来はグラブをたたきつけ応戦。両軍入り乱れる騒ぎとなり、アリアスは挑発行為で退場となった。


(9)08年9月24日、西武対ロッテ

 
 

西武投手陣が1イニング3死球を与えてベニーが激怒。大乱闘となり西武捕手細川は首投げのような強烈な投げをくらい左肩を亜脱臼し戦線から離脱した。


(10)17年4月4日、阪神対ヤクルト

 
 

5回、藤浪がヤクルト畠山の左肩に死球をぶつけたことをきっかけに金本監督も加わり大乱闘に発展。跳び蹴りをした矢野コーチと応戦したバレンティンが退場となった。