昭和最後のシーズンとなった1988年は、球史に残る近鉄の10・19だけでなく、南海、阪急の在阪パ2球団が身売りする激震の年となった。政界、財界を巻き込んだ企業のM&Aだが、一気に2球団とは…。この年から日刊スポーツはパ・リーグキャップ体制を敷き、初代キャップに指名された元記者で元大阪・和泉市長の井坂善行氏(66)は「昭和のプロ野球史に別れを告げる転換期となった」と振り返った。

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飛ぶ鳥を落とす勢いとは、当時のダイエーのことを言うのだろう。父が興した小さな薬局の店員から始まった故中内いさお氏の人生は、「安く仕入れて安く売る」薄利多売を哲学として、大阪・千林商店街で開いた「主婦の店ダイエー」の1号店からだった。

売り上げ3兆円を達成し、流通界が冷遇されていた財界にあって、経団連の副会長に就任した時は、世間をあっと言わせた。新規のダイエーを出店する時はヘリコプターで商圏を視察したかと思えば、社長でありながら、大みそかの閉店時まで店頭に立った。バブル期の好況にも乗り、倍々ゲームで飛躍的な成長を遂げたダイエーの総帥で、カリスマ的な存在が中内氏だった。

「高い値を思ってるそうやけど、そうはいかんで。電鉄会社さんには悪いが、モノを買うのはこっちの専売特許や」

中内氏がこう言って教えてくれたのは、広島の喫茶店だった。球団買収が固まり、9月初旬中内氏の広島出張をマークした時のことだった。新幹線の広島駅を降りた中内氏は、私の顔を見つけると言った。「遠いところまで来てくれたんやから、コーヒーごちそうするわ」。案内してくれたのは、街角にあるスタンドしかない立ち飲みの喫茶店だった。

「ここのコーヒー、安くてうまいんや」

たしか、1杯120円だったと記憶する。ダイエーの社長だから豪華なソファのある喫茶店かと思っていたのに、立ち飲み喫茶店でコーヒーを飲むのは初めてだった。

そこで中内氏が教えてくれたのは、買収額についてである。一説によると、南海は60億円を提示していると言われていた。「一体、どんな試算してるんやろう。考えられん数字や。まあ、見といて。値切ってモノを買うのは慣れたもんやからね」

詳細は企業秘密だから明らかにはなっていないが、その後の周辺取材を総合すると、60億円を提示していた南海は最終的には30億円で承諾したと言われている。さすがは「流通界の革命児」。値切る金額もハンパではない。それにしても、1杯120円の立ち飲みコーヒーの味はといえば、そんなにおいしくなかったことも思い出深い。

◆井坂善行(いさか・よしゆき)1955年(昭30)2月22日生まれ。PL学園(硬式野球部)、追手門学院大を経て、77年日刊スポーツ新聞社入社。阪急、阪神、近鉄、パ・リーグキャップ、遊軍記者を担当後、プロ野球デスク。阪神の日本一、近鉄の10・19、南海と阪急の身売りなど、在阪球団の激動期に第一線記者として活躍した。92年大阪・和泉市議選出馬のため退社。市議在任中は市議会議長、近畿市議会議長会会長などを歴任し、05年和泉市長に初当選、1期4年務めた。現在は不動産、経営コンサルタント業。PL学園硬式野球部OB会幹事。