西武中村剛也内野手(38)が史上14人目となる通算450号本塁打を達成した。残り1本で迎えた楽天18回戦の2回無死、元同僚の岸から今季8号を放ち、節目の数字にたどり着いた。プロ21年目、1933試合目での金字塔。中村らしく高々と、滞空時間の長い打球で左翼ポール際へ。史上45人目となる1000得点も同時達成した。貴重な先制&決勝弾にもなって、2位ソフトバンクとのゲーム差も1・5に広がった。

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450号は、いかにも中村らしさが凝縮されたアーチだった。快音から6秒。白球は仙台の夜空を高々、ゆっくり進んだ。左翼ポール内側、スタンド中段に飛び込む。行方を確認し、バットを置いた。少し遅れてダイヤモンドを1周した。400号を打ったのは19年7月19日。実に1120日を費やした。「やっと打てた。もうちょっと早く打ちたかった」と言った。

万雷の拍手が包む。その余韻がちょっと照れくさいのも中村らしい。「450号」記念ボードを渡されたが、上に掲げたのは、わずか1秒足らず。すぐ下げた。「1000得点」ボードも同様に。「そんな長い間、時間取るのも。ビジター球場ですし、2つあったので」。何度も頭を下げて、早めにベンチに戻った。

0-0の2回。10年間ともに戦った元同僚・岸の真ん中138キロ直球を捉えた。節目のアーチも踏ん張った左足がほぼ動かなかったのはわけがある。「利き足は左なんですよ」。箸もペンも使うのは右手で、右投げ右打ちだが、ウオーミングアップなどでサッカーボールを使う時は左で蹴る。リフティングもしかり。

「だからバッティングでいうと前の足。左足の強弱は付けやすいかな」

この左足で、力を逃さずボールに伝えるために必要な“壁”を作る意識は「ない」と言う。しかし利き足ゆえに、意識せずとも“壁”が出来る。入団時に2軍打撃コーチとして指導していた田辺現2軍野手特命コーチも「左のつま先が投手の方を向かない」と驚く技術は、天賦の才だった。体重移動が少なく、体勢を崩さず鋭く軸回転するホームランアーチストのフォーム。秘密の1つは、強弱自在、器用に操ることが出来る「左足」に隠されていた。

安打の4分の1以上が柵を越える。本塁打王6度。“飛ばないボール”の時代も傑出していた。11年は48発でキングに輝いたが、2位松田とは23本の大差。強く意識するのは500号だ。いつもは無用に野心を見せない男は「500号は打ちたい気持ちがある。1本1本積み重ねていきたい。打撃は難しいなとあらためて思う。ずっとそんな感じ」。独自のスタイルで極めてきた本塁打の道-。15日には39歳になる。避けられない体の変化にも向き合いながら、過去たった8人しかいない、分厚い壁に挑戦していく。まだ、ここは通過点だ。【上田悠太】

▼中村が12日の楽天18回戦(楽天生命)の2回、岸から今季8号を放ってプロ野球14人目の通算450本塁打を達成した。初本塁打は04年7月24日の近鉄18回戦(西武ドーム)で山村から記録し、00年以降に入団した選手では最初に450号へ到達。中村は西武一筋で、同一球団で450本以上は、巨人で868本の王、南海で645本の野村、広島で536本の山本浩と504本の衣笠、南海・ダイエーで503本の門田に次いで6人目になる。また、中村はこの1発でホームを踏み、プロ野球45人目の通算1000得点を達成。初得点は04年3月29日のダイエー1回戦(福岡ドーム)。中村は15年7月24日の日本ハム戦の4回に1発を放って通算300本塁打と通算1000安打を同時に達成したが、また節目の記録をダブルで達成した。

◆中村剛也(なかむら・たけや)1983年(昭58)8月15日、大阪府生まれ。大阪桐蔭では高校通算83本塁打。01年ドラフト2巡目で西武入り。本塁打王6度、打点王4度、ベストナイン7度。満塁本塁打は歴代最多の通算22本。15年プレミア12日本代表。「おかわり」の愛称で親しまれる。175センチ、102キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸2億円。

〈歴代本塁打上位〉

(1)王貞治 868本

(2)野村克也 657本

(3)門田博光 567本

(4)山本浩二 536本

(5)清原和博 525本

(6)落合博満 510本

(7)張本勲 504本

(7)衣笠祥雄 504本

(9)大杉勝男 486本

(10)金本知憲 476本

(11)田淵幸一 474本

(12)土井正博 465本

(13)ローズ 464本

(14)中村剛也 450本

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