ソフトバンク奈良原浩1軍ヘッドコーチ(55)が日刊スポーツの単独インタビューに応じ、FA加入した山川穂高内野手(32)にゲキを送った。
同コーチは12~16年まで西武で1軍内野守備走塁コーチを務め、当時ルーキーだった山川を3年間指導。アーチストの駆け出し時代を明かし、女性問題による不祥事で再スタートを切った“教え子”の背中を押した。【聞き手=只松憲】
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-西武に入団した頃の山川はどんな選手だったか
奈良原コーチ 今と同じですよ。本当にバッティング練習から「うわぁー飛ばすなぁ」って感じでした。比較的ハンドリングも柔らかかったし、走塁も悪くなかった。そしてやっぱり明るかった。元気があって雰囲気をつくる感じ。それは新人の時からありましたね。今もルーキーの時のように明るい感じ。久しぶりに話しましたが、それは変わってなかったです。
-当時は厳しく指導した
奈良原コーチ 僕は1軍のコーチで、まだ彼は1軍にいなかったから、つきっきりということではなかった。1軍に上がってきた時に指導をする感じ。まだおかわり君(中村剛也)も若かったし、彼のポジションはなかった。でも厳しくしたわけではないと思うけど、選手をうまくするのが僕らの仕事なのでね。結果的に厳しくなったかどうかは彼が判断するところです。
-山川は16年から7年連続で2桁本塁打
奈良原コーチ 彼が1軍に出始めた時には僕はもう西武にいなかった。でも他球団で見ていて、やっぱりいい選手だなってずっと思ってました。なんていってもホームラン王取ってますから。
-FAでホークス入り。期待する部分は
奈良原コーチ やっぱり彼の持ち味を生かすことが一番大事。ホームラン、長打力。やっぱりそこ。3回もホームラン王を獲得してるバッターに出塁率お願いしますってわけじゃないから。誰でもそうだけど、選手ごとに持ち味は違う。自分の持ち味を生かすことで自分の地位を確立する。
-ともに新天地で再会
奈良原コーチ ある程度性格を知っているから気は使わないですよね。決して雑に扱っているというわけではないですよ。普通に会話はしやすい感じというかね。僕にあいさつに来たときは「よろしくお願いします。一生懸命頑張ります」と言っていました。
-西武時代、山川の悔し涙などは見たことあるか
奈良原コーチ いや、本当にそこまで1軍の試合に出ていない時代だった。壁にぶつかっていたわけでもない。彼がレギュラーを張ってない時代を僕は知っている。僕が西武を退団した16年頃、ちょうど西武も世代交代だったんですよ。片岡(片岡治大)がFAで巨人にいったり、ナカジ(中島裕之)がアメリカにいったり、おかわり君がケガをしたり。内野がほとんどいない状態で山川や外崎、浅村、金子が入ってきた。ある程度試合に使って成長させる方針の中で、僕も携わった。僕だけじゃなく、当時のコーチ陣はなんとか1軍の戦力になるまでスキルアップさせようとした。みんなで一人前というか、いい選手にしようかって。この子たちをなんとか上手にしようと思って取り組んだ時代はありました。
-その努力で18、19年には山賊打線の中心選手としてリーグ2連覇に貢献
奈良原コーチ 最終的には山川本人がよく頑張っていた。若い時からよく努力をして、それで今の地位を築いた。僕たちが何かをしたわけじゃない。彼の努力が全てです。
-昔から練習量はすごかった
奈良原コーチ 振る量はすごかったって聞いてます。僕は守備コーチだったから実際に振っている姿はあんまり見てないんだけど、打撃コーチからよく聞いてました。だから守備練習もやることはやるよ?と打撃コーチに許可をもらいつつですね。
-才能だけではなく努力も重ねた
奈良原コーチ 当然遠くに飛ばすことって才能もある。でもやっぱり練習しないとね。何回も言うようだけど、本当に頑張ってこの地位を築いたと思う。ただ彼はここでストップなわけではない。より一層やってもらわないといけないですし、もっと成長してほしいです。
◆奈良原浩(ならはら・ひろし)1968年(昭43)5月16日生まれ、埼玉県白岡市出身。帝京-青学大から90年ドラフト2位で西武入団。日本ハム、中日を経て06年限りで現役引退。引退後は中日や西武でコーチを務め、20年には楽天2軍監督に就任。17年WBCでは小久保ジャパンのもとでヘッドコーチを務めた。今季からソフトバンクの1軍ヘッドコーチに就任。現役時代は通算1508試合に出場し、674安打、13本塁打、212打点、打率2割3分7厘。168センチ、65キロ。右投げ右打ち。