今季限りで休部するパナソニックが完封勝利で日本生命を破り、初戦突破した。休部に伴い、引退を決断した大卒3年目の野波祐太郎内野手(25=明大)は、兵庫三菱自動車(西脇市)で監督を務める父尚伸さん(55)の前で勝利した。

割れんばかりのバルーンスティックの音に包まれた熱狂の地。24年入社後初の舞台で一塁側から右翼まで広がる応援席から声援を送られた。この日はベンチで仲間を支え、試合後「てっぺん目指します」と白い歯を見せた。

父は高知、中大をへて三菱自動車岡崎(愛知)で選手。引退後は監督を務めた。現役時代の01年は社会人野球のベストナイン(三塁手)を受賞、主な教え子には20年にドラフト6位で阪神に入団した中野拓夢内野手(30)や22年同6位の富田蓮投手(25)らがいる。「幼い頃、父から『野球をやりなさい』と言われたことは、一度もありませんでした」。愛知で育ち、小学校高学年までサッカー、水泳など複数の競技に親しむも「家の至る所に野球道具が置いてあるんですよね」。父は言うまでもなく、おのずと「愛を感じながら圧も感じました(笑い)」と「自分で選んで」野球一本にしぼった。「昔はよく反抗していました。身近に“そういう人”の父がいて、自分にプライドが芽生えてからは意見がぶつかるようになって…」。

父の助言を受けながらも自らの実力を確認したく、中学は強豪・愛知知多ボーイズへ。現中日の石川昂弥と同期で、3年時には主将・中堅手としてチームを束ね、石川とセンターラインを守り組織をまとめる厳しさに衝突。「野球が楽しかったのは小学校までです」。進学先をしぼるにも東海地区の野球指導者は、「野波」といえば父を指すことに気づき始めた。人生をどうにか自分の力で、こじ開けたかった。入学前の「セレクションで実力を試したい」と晴れて隣県の大垣日大(岐阜)に入学。2年夏の18年、「野球をやるなら、甲子園に出てほしい」と父がかなわなかった甲子園の出場も実現させた。その意思を貫き、進学した明大では後輩の現楽天宗山塁と同部屋になり、リーグ3連覇を経験。「いずれは社会人で野球をやりたい」と、卒業後は全国の強豪校から選手の集うパナソニックへ飛び込んだ。

高校、大学以上に出場機会が限られる今、年齢を重ねるにつれて父のすごみを思い知る。「悔しい気持ちもありますが、いつしか仲間を応援してしまっている自分がいて。父は現役時代に(社会人野球の雑誌の)グランドスラムの表紙を飾って、尊敬しか感じません。父を超えるために野球をしてきましたが、試合に出られないなりにもやりきりました。腐らなかった自分を褒めたいですし、家族に感謝したいです!」。

パワーの源は、母譲りの負けず嫌いな性格。「もし父に助けを求めれば、『敷かれたレールの人生』があったかもしれません。でも、中学生の頃から『こういう人生を自分で歩みたい』というのはありました」。

信念を貫き、25歳まで野球を続け引退後は社業に従事する予定。「野球の仲間って、友達でもないですし、家族のような存在。人生にとって濃い時間です」。

ここまで、どことなく父も周囲を気にしないわけがなかった。息子を応援したい気持ちを募らせ、高校までは球場の木々の間から試合を応援する父の姿を友人から常々報告されていた。

親子で“社会人野球戦士”となった。自分はその世界から去ってしまうが、今秋、創部元年のチームで指揮を執る父へ堂々とバトンを渡す。【中島麗】