プロレスの月曜日

デビュー20年、女性レフェリー李日韓の「流儀」

<プロレスの女>

プロレス界の輝く女性たちを紹介するコーナー3回目は、フリーのレフェリー李日韓(44)。99年に大日本プロレスでデビューしてから今年で20年。唯一無二の名レフェリーにその半生を語ってもらった。【取材・構成=高場泉穂】

6月、全日本プロレス後楽園ホール大会 カウントを取る女性レフェリー李日韓(撮影・河田真司)
6月、全日本プロレス後楽園ホール大会 カウントを取る女性レフェリー李日韓(撮影・河田真司)

白黒タテジマの衣装に髪を後ろにまとめたスタイル。柔らかな雰囲気の李がリングに上がると、その貫禄で一気に緊張感がみなぎる。試合中はハスキーなボイスで選手の名前を呼び、激しい技の応酬には苦しそうに顔をしかめる。反則には毅然(きぜん)とした態度で怒号を発し、試合後は選手を笑顔でたたえる。すべては「お客さんが楽しめるように」。喜怒哀楽豊かな李につられて、見ている側も思わず心を揺さぶられる。

99年に大日本でレフェリーデビュー。翌00年からはデスマッチもさばくようになり、大日本を代表する名レフェリーに成長。16年に独立してからは、全日マットを中心に、海外にも活動の場所を広げている。「全日本に出始めた時は『女があがるリングじゃない』とSNS上で言われたこともありました。でも、私はこれが仕事。女だから、と悲観してみられたらだめだなと思っています」。

新米時代、元大日本で現新日本の本間朋晃からは「体を鍛えろ」。大日本の伊東竜二からは「泣くなら、リングからおりろ」と助言を受けた。その教えを今も守り、「思いきり(リングを)たたける体をつくらないと」と、トレーニングは欠かさない。確かなプライドを胸に男たちの戦いを20年間さばき続ける。

胸に刻む一戦がある。09年11月20日、後楽園ホールでの葛西純対伊東竜二。デスマッチ界トップ2人の対戦に聖地は満員札止め。残り15秒で葛西が制した死闘はその年のプロレス大賞年間ベストバウトに選ばれた。そのレフェリーを務めたのが李だった。受賞後、葛西には食事をごちそうされ、伊東からは賞金をそのままもらった。

「おれたちがすごいんじゃない。あれは3人でとった賞だからと2人が言ってくださった。試合の後、記憶に残る選手とレフェリーになろう。そのために、あの試合を塗り替えていかないといけない。がんばって努力しよう、と3人で話をしました」

6月、全日本プロレス後楽園ホール大会で選手のかけ技に驚きの表情を浮かべる女性レフェリー李日韓
6月、全日本プロレス後楽園ホール大会で選手のかけ技に驚きの表情を浮かべる女性レフェリー李日韓

20年間のレフェリー生活でさばいた試合数は「4ケタ以上」。それでも李は「まだまだです」と謙遜する。現在主戦場とする全日本では名物レフェリー和田京平から多くのことを学んでいるという。

「大日本でお世話になった16年間を恩返しするために、野心を忘れず、もっと有名になりたい。もっと海外もみてみたい」

唯一無二のレフェリー人生はまだまだ続く。

◆李日韓(り・にっかん)1975年(昭50)4月15日、滋賀県生まれ。高校卒業後、岐阜、愛知地区タウン誌ライター。インディ団体「世界のプロレス」スタッフ、週刊ゴングのアルバイトを経て、99年に営業兼レフェリーとして大日本プロレス入り。16年からフリー。157センチ、65キロ。

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