まさに鳴り物入りでプロ入りも、日本王座のベルトすら手にできず、世界は遠かった。その夢を愛弟子に託す。20日に大阪でのIBFバンタム級で、和気慎吾が待ちに待った世界初挑戦。古口哲会長にとっても、自らが手掛けた悲願の舞台になる。
世界戦は手慣れている。協栄ジムのトレーナーとして、WBAスーパーフライ級王者鬼塚のチーフだった。他にも勇利、ナザロフという旧ソ連の世界王者がいた。鬼塚が94年に引退すると、沖ジムに移ってミドル級王者になった竹原もサポートした。
チャンピオンメーカーとも言えるが、会長自身も期待の選手だった。大場にあこがれてボクシングを始め、名門作新学院に進むと無敗の快進撃。2年連続フライ級でインターハイを制し、日大で初黒星まで連勝を61まで伸ばした。この記録は13年に破られるまでの日本記録だった。
モスクワ五輪代表候補との期待も、親の事業失敗で中退してプロ入りした。アマ戦績は70勝(43KO)3敗。国際ジムに入ったが以前に笹崎ジムとの契約も発覚で問題になり、2年間リングに上がれなかった。これが最初の挫折だった。
当時の協栄ジム金平会長の計らいで、センタースポーツに1000万円で移籍して、79年にやっとデビューした。メキシコ修行にいき、具志堅のキャンプにも同行したが、2戦目で判定負け、初の日本王座挑戦は5回KO負けした。
85年に日本王座再挑戦で六車からダウンを奪うも、また5回KO負けで引退した。11勝中KOが10。強打も練習嫌いで私生活も乱れていたそうだ。引退後もなかなか職が見つからない中で、金平会長にトレーナーとして拾われた。
96年にはジムを開いたが、これも思うようにはいかなかった。ジム閉鎖も考えだしたころの05年にインターハイで和気と出会った。その和気も4敗など伸び悩み、再びジムは危機に陥った。13年に東洋太平洋王座獲得でジム初の王者誕生で光が差した。
その後、和気と仲たがいした時期もあった。挫折、苦労の連続だったが、ついに世界の舞台に臨む。師弟の夢はかなうか。【河合香】

