春場所が終わって、約2カ月半がたった。大阪から帰京後、猛威を振るう新型コロナウイルスの影響で在宅勤務が増え、夏場所が中止となり、そして今も在宅勤務がメインとなっている。稽古場に行き取材していたころと比べると時間に余裕がある。ふと、昔の取材ノートを整理した。すると記者にとって思い出深い1冊が出てきた。

17年春場所。この場所は稀勢の里の新横綱場所だった。稀勢の里は12日目まで全勝。久しぶりの日本人横綱による快進撃に、ファンは連日酔いしれていた。その稀勢の里を追いかけていたのが大関照ノ富士。12日目までに1敗を守り、賜杯を虎視眈々(たんたん)と狙っていた。

大きく動いたのは13日目だった。照ノ富士が横綱鶴竜を破った、次の結びの一番。横綱日馬富士の鋭い強烈な立ち合いを受け止めきれなかった稀勢の里は、一気に土俵下まで飛ばされた。土俵上に戻ろうとする稀勢の里だったが、右手で左胸を押さえながら苦悶(くもん)の表情。明らかに異常事態だった。それでも心配するファンをよそ目に、自力で歩いて支度部屋へと戻った。

翌14日目も波乱が起こった。稀勢の里に1敗で並んだ照ノ富士は、琴奨菊相手に立ち合い変化で白星。これまで四つに組んで力強い相撲を見せてきただけに、館内にはブーイングが飛び交った。この日は場所が始まって初めて、16年に手術した左膝のテーピングの上からサポーターを着用。治療のための病院も欠かせない状況で、1つの白星、そして悲願の賜杯を抱くために選んだ立ち合い変化だった。しかしファンにとっての主役は、この日までの声援の大きさから推測すると新横綱だった。稀勢の里の優勝を待ち望んでいるファンにとっては、照ノ富士の立ち合い変化での勝利が面白くなかったのだろう。

その稀勢の里は13日目の負傷の影響で本来の力を全く出せず、14日目も敗れて2敗に後退。そして千秋楽は、本割で稀勢の里と照ノ富士が組まれた。照ノ富士は勝てば優勝、稀勢の里は本割と優勝決定戦で勝てば優勝。これはさすがに照ノ富士が圧倒的に有利だろう-。相撲担当3場所目の若造記者の予想だった。

千秋楽、結び前の一番。取組前から異様な雰囲気だった。両者が花道に現れた時の、ファンの反応は極端だった。新横綱へは大歓声、優勝争い単独トップの大関には手厳しいヤジ。そして本割。待ったがかかった最初の立ち合いで、稀勢の里は右に変化気味に動いた。まともに当たっては勝てないか-。そう思ったが、次は正面から当たり、そして土俵際で突き落とし。新横綱の勝利に、会場が大いに沸いた。そして優勝決定戦。稀勢の里が小手投げを決めた瞬間、満員のファンによる大歓声でエディオンアリーナ大阪が揺れるのを感じた。手負いの新横綱の逆転優勝だった。

当時、記者は照ノ富士を担当していた。13日目に負傷した稀勢の里と並び、14日目に琴奨菊に立ち合い変化で勝って単独トップに立ってから、ファンから向けられる目がかなり厳しくなったと感じた。それは照ノ富士も少なからず感じていたはず。それでも表情に出すことはなかった。優勝決定戦後の西の支度部屋。肩を落とした照ノ富士は、報道陣に対して「目に見えるつらさと目に見えないつらさがあるんだよね」とつぶやいた。

照ノ富士が支度部屋を出た後、会場を出るまでついていき、目に見えるつらさと目に見えないつらさとは何か、聞いてみた。すると「みんなには分からないよ」。遠くを見つめる照ノ富士にそう言われると、何も言えずに見送った。ノートに書かれたこの場所の照ノ富士への取材コメントは、この言葉で終わっていた。

新横綱の劇的な逆転優勝は印象深い。一方で、敗者の言葉も同じぐらいしっかりと記者の心に刻まれた。本当は不満や鬱憤(うっぷん)など、言いたいことは山ほどたまっていたと思う。それでも言い訳せず、飲み込んだ姿は今でも忘れられない。新型コロナの影響で中止となった夏場所の番付で、幕内に復帰した照ノ富士。再び土俵を盛り上げてくれるのを期待している。【佐々木隆史】