新日本プロレス、UWFで活躍して“いぶし銀”として知られた木戸修さんが11日に亡くなった。73歳だった。ここ何年かは、がんの治療をしていたが、容体が急変して病院に運ばれ、息を引き取った。

残念でならない。芸能で飯を食うことが長い記者稼業だが、父娘でお世話になった数少ない人、それもスポーツ畑で。娘はプロゴルファーの木戸愛選手(33)だ。

03年に当時、東北高校3年の宮里藍が「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」で優勝、翌月にプロ入りすると空前の“女子ゴルフブーム”が巻き起こった。一気の若返りで、高校生のゴルフ競技が注目を浴びた。

日刊スポーツ新聞社は“緑の甲子園”と呼ばれる「全国高校ゴルフ選手権」を主催している。後にプロになるような選手たちは、高校時代からアマチュアとしてプロの試合に出ているので全国大会でも緊張しない。ただ、個人競技のゴルフで数少ない団体戦が“緑の甲子園”。どの選手たちも必死だ。

東北高校で宮里の2学年下が、プロで活躍する有村智恵主将、原江里菜副主将のコンビだった。ゴルフ取材経験のある記者ということで、事業部からの依頼でよく“緑の甲子園”関連の取材をしていた。そのさらに2学年が下が木戸愛だった。すでにプロレスラーを引退していた修さんは、父親として娘のコースへの送り迎えをしていた。“プロレスの神様”カール・ゴッチから“マイ・サン(私の息子)”と呼ばれていただだけに、他の保護者や顔なじみの古株の記者に声をかけられることも多かった。いつも控えめにあいさつを返して「自分はいいよ」と出しゃばることのない人だった。そっと、木の陰から娘のプレーを見ていた。プロレス取材の現場で会うことは少なかったが、レジェンドとして丁寧な受け答えをしてくれた。

そして、記者は2013年(平25)に、なんと昭和の時代以来、25年ぶりのゴルフ担当記者を命じられた。AON(青木功、尾崎将司、中嶋常幸)の時代から、一気に石川遼(32)、松山英樹(31)の時代へ。戸惑うことの多かった男子プロと違い、女子は高校時代に取材して知っている選手も多かった。

木戸愛選手も、その1人だった。そして「高校1年の時に(有村)智恵先輩や(原)江里菜先輩を取材されているのを見て、私も取材してもらえるように頑張ろうと思っていました」と、記者として涙が出るようなことを言ってくれた。

娘がプロになっても、修さんはいつも控えめだった。選手の父親が注目を浴びて取材されることも多かったのだが、まるでアニメ「巨人の星」の主人公・星飛雄馬の姉、星明子のごとく木の陰から愛選手のプレーを見つめていた。若い時から堅実にアパート経営をしていて、トレードマークのカッチリヘアでダンディー。金銭的にだらしなかったり、ブクブクに太ってしまう人もいる元プロレスラーの中でも、品格を感じさせてくれる人だった。記者にも丁寧で「いつも取材ありがとうございます」と敬語で接してくれて、襟を正すことがあった。

「“プロレスの神様の孫娘”優勝」という愛選手の原稿を書くことなく芸能の世界に戻ってしまったが、ずっと応援はしている。今年の8月に結婚したことを、先頃発表したばかりだったので“プロレスの神様のひ孫”誕生の記事はあるのかなどと考えていた。その直後の修さんの訃報だった。

プロレスの会場でも、ゴルフの会場でも、そのたたずまいで品格というものを教えてくれた人でした。ありがとうございます。ご冥福を祈ります。【小谷野俊哉】