関脇御嶽海(25=出羽海)が東前頭13枚目の栃煌山(31=春日野)を下して、13勝1敗で初優勝を決めた。平成生まれでは照ノ富士以来2人目で、日本出身力士としては初めて賜杯を抱いた。

関脇の優勝は15年夏場所の照ノ富士以来3年ぶり。学生出身力士としては01年秋場所の琴光喜以来17年ぶり。また、名門出羽海部屋の力士としては80年初場所の三重ノ海以来38年半ぶりで、長野県出身力士としては、優勝制度が制定された1909年(明42)以降は初めて。古くは最強の異名を取った江戸時代の雷電の1810年(文化7)以来、208年前までさかのぼる。

1992年(平4)12月25日、父春男さんとフィリピン人の母マルガリータさんの間に生まれた。幼いころから運動神経には恵まれ、自信を持っていた。だが、小学1年のとき、地元で開かれた相撲大会で、自分よりも体が小さい子に負けた。その悔しさから、すぐに相撲を始めた。「やる。強くなる」。そう宣言した。

長野県木曽郡上松町の実家は山や川に囲まれている。「オヤジとキノコやタラの芽を採りに山に入ったり、川で泳いだり…。アユやイワナ、ヤマメが釣れて塩焼きにするとおいしいんです。頭も全部食える。捨てるところがないんですよ」。

自然が遊び場だった。中学3年のときには、同学年の平均が215センチの立ち幅跳びで260センチも記録した。長野県立・木曽青峰高では森林環境科を専攻。「山登りが多い学校」(御嶽海)で1時間で登り、30分で木を切り、30分で下る-。それを週に2回こなした。

「隣木があると邪魔なので、どっちに向けて切るかとかバランスを見ながらやる。基本は谷川に倒すんです」「チェーンソーは基本、使わない。オノやノコギリの手作業。切るのはタイミングが大事。のこぎりを引くと切れるんです。そのタイミング」「山を登るには、足裏をしっかり使わないとだめ。斜面に沿って歩くとなると、つま先に力を入れると歩きやすい。前傾姿勢が大事。足首も強くなりましたね」。

 大自然の中でわんぱくに、たくましく育った。それが、今の下地だった。

東洋大では4年時にアマチュア横綱と学生横綱の2冠に輝いた。当初は和歌山県庁への就職を考え、両親もプロ入りには反対だった。だが、本人の意思はプロ入りに傾いた。「やってみたい」と両親を懸命に説得。決まったのは、クリスマスイブ直前だった。

15年春場所に、幕下10枚目格付け出しでデビューした。そこから21場所目。日馬富士、鶴竜、稀勢の里、白鵬と対戦した4横綱すべてから白星を挙げるなど、確実に階段を上り続けた「木曽の星」が今、大きな仕事をやってのけた。