横綱稀勢の里(本名萩原寛、32=田子ノ浦)が引退を表明し、約17年に及ぶ波乱に満ちた力士人生に別れを告げた。

東京・両国国技館で引退会見に臨み「一片の悔いもございません」と大粒の涙を流した。19年ぶりの日本出身横綱として17年初場所で初優勝後、横綱に昇進。中卒たたき上げ、愚直な姿勢から絶大な人気を誇り、誰からも愛される横綱だった。

   ◇    ◇

涙が止まらなかった。冒頭で「私、稀勢の里は、今場所をもちまして引退し」などと、あいさつした時だけ、よどみなく話した。だが最初の質問で、すぐに目には大粒の涙がたまった。「横綱として皆さまの期待にそえないことには、非常に悔いが残りますが…。私の…」。何度も言葉を詰まらせ、泣き顔を見せまいと下を向いた。意を決したように顔を上げ「土俵人生において、一片の悔いもございません」と話すと、こらえ切れずに涙をぬぐった。

前日3日目の打ち出し後に決断していた。初日から3連敗し、自宅へ戻る前に都内の部屋で約1時間半過ごした。そのうち、師匠の田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)と約30分の話し合いは「引退させてください」と切り出した。田子ノ浦親方は「我慢強い男ですから、引退という言葉を使うということは、それなりの覚悟があったと思う」と、決意を受け入れ、引退を慰留することはできなかった。

会見場は15歳で相撲界に入ってから半年間通った、両国国技館内にある相撲教習所だった。すぐ隣には、ほぼ同期の前頭琴奨菊、十両豊ノ島らと連日胸を合わせた、17年間の原点となる土俵があった。その琴奨菊と豊ノ島は、今場所前に「3人で、あのころを思い出してやろう」と、示し合わせて初めて田子ノ浦部屋に出稽古に訪れた。現役生活の最後の思い出もよみがえったのか、涙もろかった。

中学卒業後、鳴戸部屋に入門した。故人の先代鳴戸親方(元横綱隆の里)は「あれは将来、大物になる」と見抜き、すでに三役力士だった若の里に毎日100番も稽古を付けさせた。異例の英才教育で、貴乃花に次ぐ史上2番目に若い18歳3カ月で新入幕。一方で史上2番目のスロー初優勝。それでも愚直に努力で横綱に昇進。不器用さが多くの人に愛された。

新横綱場所で大けがを負い、8場所連続休場、前日3日まで足かけ3場所で8連敗と、ともに横綱ワースト記録を更新した。大けがはひた隠しにしたが、実は左上腕二頭筋断裂だった。「徐々に良くなってきましたが、けがする前の自分に戻ることはできなかった」と話し、号泣する場面も。

愚直に稽古に打ち込む姿勢には、白鵬や日馬富士ら同世代の横綱も「ライバルは稀勢の里」と言い、先輩横綱の朝青龍をも対戦を心待ちにさせた。ファン以上に力士仲間に愛された。先代鳴戸親方から「稀(まれ)なる勢いになれ」と期待された通り、大物になった。悔しくて仕方なくても、好きな漫画「北斗の拳」の登場人物ラオウの名ゼリフを模して「一片の悔いなし」と言い切った。日本中に愛された希代の横綱が、約2年という短い横綱人生に幕を閉じた。【高田文太】