大相撲の元関脇栃煌山(33=春日野)が15日、現役引退と年寄「清見潟(きよみがた)」の襲名を発表した。春場所で負け越して2度目の十両陥落となっていた。元横綱稀勢の里(現荒磯親方)らと同じ昭和61年度生まれで「花のロクイチ組」として、三役在位は通算25場所。賜杯には届かなかったものの12年夏場所には優勝決定戦を経験した。今後は春日野部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。

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一時は「大関候補」の呼び声も高かった栃煌山が、土俵に別れを告げた。「ひとつの区切りがついた。次に落ちたときは自分でやめようと決めていた」。昨年の九州場所で、07年春場所での新入幕から75場所守ってきた幕内から陥落。1場所で返り咲いたものの、3月の春場所で3勝12敗と大きく負け越し、再び十両に転落して決断した。

鋭い寄りを武器に入門から約4年で新三役に昇進し、12年夏場所では旭天鵬と史上初となる平幕同士の優勝決定戦を争った。努力家で「コツコツ長年積み重ねたものを出せるタイプ」と、リモート会見に同席した師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)。賜杯と大関には届かなかったが、栃煌山自身も「しっかり課題を持って、体に染み込ませるように常に稽古をしていた。なかなか最後、上の番付に上がることができなかったけど、自分のやってきたことに間違いはなかったと思う」と胸を張った。

元稀勢の里や、小学校からのライバルで同期の元大関豪栄道(現武隈親方)ら同学年の力士としのぎを削ってきた。15年間の現役生活で最も印象に残る取組は、昨年初場所の稀勢の里戦。稀勢の里の現役最後の相手として、白星を挙げた。「同学年で、自分が入門したときには関取に上がっていた。そういう人と最後に相撲が取れたことはうれしい気持ちもあったし、その次の日に引退して寂しい気持ちもあった」。くしくも引導を渡す形になった。

「子どもの頃からずっと相撲しかやってこなかった。自分が相撲を取らないのが想像もつかない」。今後は名門部屋の部屋付き親方として、次の関取を育てる。「相撲に対して真面目で、粘り強い力士になれるように育てたい」。関脇に通算11場所在位した実力者は、第2の人生に向けて決意を固めた。【佐藤礼征】

◆花のロクイチ組 大相撲で昭和61年度生まれの関取の総称。大関以上では元稀勢の里と元豪栄道、三役経験者では栃煌山のほか、宝富士、碧山、勢、魁聖、妙義龍の5人は現在も幕内で活躍。初場所で史上2度目の幕尻優勝を果たした徳勝龍も同学年。

◆栃煌山雄一郎(とちおうざん・ゆういちろう)本名・影山雄一郎。1987年(昭62)3月9日、高知県安芸市生まれ。安芸小2年で相撲を始め、安芸中で中学横綱。明徳義塾高では4冠。05年初場所初土俵。07年春場所新入幕。09年夏場所で新小結、10年秋場所で新関脇昇進。金星は6個、三賞は殊勲賞、敢闘賞、技能賞が各2回。幕内通算573勝563敗19休。得意は右四つ、寄り。187センチ、151キロ。血液型A。家族は夫人と1女。