スポーツマンシップを語る上で、勝負に負けたときの立ち居振る舞いは欠かせません。敗戦時ほど、そのチームや選手の考え方が見えてくるものです。
もちろんスポーツの基本は、勝利を目指して全力で戦うことです。負ければ悔しい。しかし、勝者をたたえる思いがなければ、それは自分自身をもおとしめることになってしまいます。
残念な例から書きます。
2019年(令元)に日本でラグビーのワールドカップ(W杯)が行われ、日本チームの健闘もあって大いに盛り上がりました。決勝戦は世界ランク1位のイングランドと2位の南アフリカの対戦となり、南アフリカが優勝を飾りました。
イングランドは悔しかったのでしょう。それは分かります。しかし、表彰式で銀メダルを受け取らなかったり、首にかけてもらった直後に外すといった行為がありました。
この行為をどう思うでしょうか?
また、2014年(平26)アイスホッケーの全日本選手権では、決勝で敗れた選手が試合後の握手を拒み、銀メダルをゴミ箱に捨ててしまうという出来事がありました。観客席から見える場所で行われた行為とあり、大きな問題になりました。
決勝ゴールの判定が微妙で、これに対する不満もあったのでしょう。気持ちは分からないでもありません。しかし、このような行為が、スポーツの、競技の、チームの、そして自分自身の今後にプラスになるでしょうか。私はそうは思えません。
敗戦を認めて、勝者をたたえ、その悔しさをバネにして次の試合の勝利を目指す。もちろん勝者も、対戦相手の健闘をたたえ、敗者の心情をおもんぱかった喜び方をする。そうあってほしいと思います。
侍ジャパン栗山英樹監督は、日本ハム監督時代、相手チームの優勝セレモニーをベンチで見つめていました。他球団の胴上げをじっと見つめる姿からは、相手への敬意とともに翌年に向けた決意を感じました。あれこそスポーツマンシップだと、私は思っています。
私が3年目の若手記者だった1995年(平7)にこんなことがありました。
高校生がインターハイ出場をかけて戦う県大会の決勝戦。先鋒のA選手は、相手に1本を先行されて苦しい展開になっていました。反撃しているとき、相手が竹刀を落としました。
そのまま打ち込めばA選手の1本になります。しかし、彼はそうせず、床に落ちた竹刀を拾い上げて相手に渡しました。試合は再開され、A選手は敗れ、チームもインターハイ出場を逃しました。
竹刀を落とした相手に打ち込んでもルール違反ではありません。A選手には打ち込む選択肢もあったのです。彼も試合後、自分の行動が正しかったのか迷ったのでしょう。監督に「ボクは間違っていたのでしょうか」と聞いたそうです。
自身も全国トップクラスの剣道選手である監督は「今日はあれでよかったんだ」と全面的にA選手の行動を認め、その上で「打ち込む精神も忘れるなよ。剣道は作法だけのスポーツではないんだ」と付け加えました。
後日、監督に話を聞くと「日ごろから対戦中に竹刀を落としても、ふてくされたような態度は取らないようにと指導していました。相手が落としたときの話はしたことがありませんでしたが、その延長で考えたのでしょう」と言っていました。監督も、そしてチームメートも、A選手がとっさに取った行動を「誇りに思います」と言っていました。
彼らは目標のインターハイ出場を逃したわけですが、私は「敗者」とは呼びたくありません。彼らもまた「勝者」だと思うのです。
1996年(平8)の男子プロゴルフでは、こんなことがありました。
福沢義光プロはロングホールの第3打に臨もうとしたとき、ボールの下に赤とんぼの尾があると気付きました。止まっていたとんぼの上にボールが落ちてしまったのです。
そのまま打てば、とんぼは死んでしまいます。福沢プロはボールを拾い上げて1打罰を受けました。ちなみにルール上は罰なしにドロップできたのですが、福沢プロはそういう選択をしました。スコアや順位よりも、とんぼの命を優先したわけです。
「万が一、優勝争いをしていても、きっと同じことをした。強引に打っても、きっと気にかかり、後に尾を引くだろうから」
当時の新聞には、そんな福沢プロのコメントが載っています。
剣道のA選手、福沢プロはともにユネスコの「日本フェアプレー賞」に選ばれています。
彼らの行動が正解かどうかは分かりません。しかし、スポーツとは試合の勝敗だけではないと、深く考えさせられる出来事でした。
スポーツ界には「グッドルーザー」という言葉があります。直訳すれば「良い敗者」ですが、私は「潔き敗者」が適していると思います。
潔き敗者は、決して勝負を投げ出したり、あきらめた者ではありません。勝利のために全力で戦い、負けても、また次回の勝利を目指して前を向く者を指すのです。
スポーツには勝敗が伴います。勝利を目指しつつも、グッドルーザーであってほしいと願います。【飯島智則】

