もう1つのWBC。

2026年に開催が予定される第6回世界身体障害者野球の出場を目指し、野球に打ち込んでいる25歳がいる。

千葉ドリームスター(以下千葉D)の土屋来夢さんだ。

小学3年で野球に出会い、中学から硬式野球を始める。高校球児に憧れ、高校でも野球部の門をたたく。

だが、1年生の夏休み。練習終わりにカートに乗ってグラウンド整備中に、事故に遭った。利き手でもある右手の親指以外の4指を失った。

父親の純一さん(55)は、リハビリする来夢さんに、野球への未練を感じとった。野球を続ける方法を探していると、千葉Dを見つけた。その年の暮れに見学に連れ出した。

来夢さんは、その日の印象を「素直に感動しました。いろんなハンディを背負った人がいても、創意工夫して、片手でとって片手で投げたり。『そういうのできるんだ』と思いましたね。今までやっていた野球とは概念も違うけど、同じ野球をやっているなって。何しろ、みんなが楽しそうにプレーしているのが印象的で、素敵(すてき)だなと思った」と言う。

居場所を見つけた。毎週の練習を楽しみに、夢中になって個性を磨いた。左投げにも挑戦した。

元々左打ち。だが、右手でバットを握れないので、リードができない。左手でリードする右打ちを練習したが、今度は目が対応できなかった。ならば、テニスのフォアハンドのように、右手は添えるだけ、左手で押し込む左打者を練習した。

12月15日、新宿調理師専門学校、香川調理製菓専門学校との交流試合では、中越え2点適時打を放った。「すごい工夫しました。ああいう打球も飛ばせるぐらいになってきたなって感じです」と、うれしそうに振り返った。

遊撃手で出場し、左手にグラブをはめ、捕球してそのまま三塁にグラブトスや、右の手の親指でボールを操る一塁送球も披露した。「僕の個性です」と、創意工夫で技術を磨いてきた。

千葉Dでの活躍が、選考委員の目に留まり、23年に名古屋で開催された第5回世界身体障害者野球に出場した。東日本では唯一、最年少の参加だった。4試合中2試合に出場し、世界一に貢献した。

「最初は、日本代表になれたらいいなみたいな夢物語みたいなところから始まったんですけど、徐々にそういうスキルもついてきて、目標になって、達成できたってのはすごい良かったです。バンテリンドームで、お客さんの入っている球場での大歓声、心揺さぶられましたね。君が代も心揺さぶられました。他の国の方で障がいを持っている方がこんなに集まる機会はそうないので、貴重な体験でした。高校球児もあまりできなかったので、ブラスバンドでの応援の経験もなかったので。いい時間でした。みなさんに感謝しかないですね。ケガをして10年目で日本代表になったんですけど、いろんな人にお世話になった恩返しを形にできたのも、すごいうれしかったですね」

次回の世界身体障害者野球の日本代表に入るには、来年の全国大会などのパフォーマンスが重要な選考材料となる。そんな中、来夢さんは、父純一さんに言った。

「うちにも、高校野球やっていた若い人も入ってくるし、これまで応援していただくばかりだったけど、野球に還元しないと。俺、キャプテンをやるよ」

そして今年1月から来夢さんはキャプテンになった。ヘッドコーチを務めていた父の純一さんは、4月から監督に就任した。ともに千葉Dを強くして、今度は来夢さんだけではなく、チームメートと一緒に日本代表になることも目指している。

グラウンドで大きな声で選手をまとめる来夢さんの姿を、純一さんはまぶしそうに見つめて「野球で苦しんだけど、野球に助けられました」と言った。

日本代表に向けての挑戦は、来夢さんの個性を、さらに輝かせるはずだ。

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