ぴんからトリオや千昌夫(71)小林幸子(65)らを育てた、元第一プロダクション社長の岸部清さん(享年88)の通夜が18日、東京・港区の青山葬儀所でしめやかに営まれ、音楽関係者ら約500人が参列した。

遺影は91年に「第一プロ」30周年記念パーティーの時に撮影したお気に入りのショット。祭壇は上品な紫色を基調にし、バラやダリアなど約7000本の花で飾った。その前にカステラやあんぱんなど大好きだった甘いお菓子をいくつも置いた。ひつぎの中にも、愛用のつえやシャツに加え、どら焼きやざらめなどの菓子を納めた。

涙をこらえて最期の別れをした小林は「ひと言で言えば、恩人です」。事務所に入ったのは20歳の時だったという。「その5年後の1979年、事務所にストックであった曲の『おもいで酒』と出合った。最初はB面だったんですが、200万枚のセールスになって、この曲が私の人生を変えた。岸部さんとの出会いがなければ、『おもいで酒』との出会いもなかった」と感謝した。

87年に事務所から独立をする際も「頑張れよ」と背中を押してくれたという。「事務所に所属した当時から、怒られたことは1回もない。いつも『1番、根性があるのはお前だ』と言って、私をほめて伸ばしてくれた」としのんだ。「今年の歌手生活55周年のコンサートを見てほしかった。とってもさみしいです」と唇をかんだ。

千も「『星影のワルツ』がヒットする兆しが見えたころに事務所に入り、30年以上所属しました」と振り返った。「当時は19歳。3日くらい事務所に通って、レコードを置いてきて、2週間くらいたったら『はんこを持ってこい』と岸部社長に言われたんです。火が付きかかっていた曲に、事務所のプロモーション力が加わって大ヒットになった」と話した。「サッパリした性格でクヨクヨしない人でした。何か相談にいっても、帰りには自分のモヤモヤがなくなっている。人に安心感を与えてくれる人でした」。

戒名は「大光明清居士(だいこうめいせいこじ)」。大きく芸能界に貢献し、日本各地に大きな光を届け、明るい人柄で多くの人に慕われたことを表現したという。

葬儀・告別式は明日19日午前11時30分から同所で行われる。