「ラテンの女王」の異名で知られた歌手で、1983年(昭58)の映画「楢山節考」(今村昌平監督)にも出演するなど女優としても活躍した、坂本スミ子さんが23日午前3時35分、脳梗塞のため熊本市内の病院で亡くなった。84歳だった。

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「ラテンの女王」にふさわしく、あけすけな言動はちょっと日本人離れしていた。そんなところが人間の本性を描く今村昌平監督に気に入られ、3作品でメインキャストに起用された。

その代表作「楢山節考」が83年の仏カンヌ映画祭で最高賞のパルムドールに輝いた瞬間が芸能生活のピークではなかったかと思う。下馬評ではまったく注目されていなかった作品で、映画界の事情を知る共演者は誰も参加しない中、このために10キロ減量し、前歯4本を削った坂本さんはただ1人現地入りした。ふたを開ければ予想外の受賞。一夜にして「日本のエディット・ピアフ」と持ち上げられた。

が、その後、日本では彼女にまつわる別件のトラブルが報じられた。私もその1人だったのだが、帰国時の成田空港に詰め掛けた取材陣の目的はそちらにあった。ロビーに現れた彼女は「凱旋(がいせん)」を意識してVサインをしたが、一瞬後に異変に気付き、後方にいた映画関係者の目配せで口をつぐんだ。

天国から地獄の状況に泣きだしても倒れてもおかしくないところだが、しれっと歩き出した様子は文字通り「ケセラセラ」。不思議な「大きさ」を感じさせる人だった。【相原斎】