作曲家の船村徹さん(享年84)は、メロディーだけでなく、言葉でも多くの人の心を引きつけていた。2月16日に心不全で亡くなった後、栃木県日光市にある「日本のこころのうたミュージアム・船村徹記念館」は、誕生日の6月12日から手紙展を開始。好評のため当初の予定を延長し、10月13日まで開催した。来年1月3日からは、文化勲章も常設展示される。

 船村さんの手紙展を企画した記念館のスタッフは、ゆかりの著名人からいただいた手紙を整理していて、その数の多さに驚かされた。展示は1期につき2週間程度。5期にわたり紹介された。名曲の歌い手、各界の著名人らとのやりとりや、各人の思いが、手に取るように分かった。

 中でも、「みだれ髪」のレコーディング前に故美空ひばりさんから届いた手紙について、「自ら用意した封筒に入れて仕事部屋に置かれていたと、ご遺族からうかがい、ひばりさんへの思いを大切に受け止めておられたことがよく分かりました」と、同館の運営責任者である加藤加代子さんは振り返った。

 手紙展で特別展示された中で、来場者が必ず足を止め、あふれる涙をぬぐおうともせず、見ていた手紙があった。作詞家高野公男氏に宛てて船村さんが書いたものだ。コンビを組んで作り、春日八郎さんが歌った「別れの一本杉」は、1955年(昭30)に大ヒットした。ところが、高野氏は肺結核のため、翌年26歳の若さで亡くなってしまう。闘病生活を送る盟友に、「僕は安酒を今夜もちびりちびりと飲みながら、君が回復するのを待っている」と切々とつづっていた。心情が伝わる。

 「高野さんのご親族によると、先生は亡くなる前まで、茨城県笠間市にある高野さんのお墓参りを欠かさなかったそうです」(加藤さん)

 15年4月の記念館オープン以来、先月で来場者が20万人を超えた。年間約5万6000人の来場予想を大きく上回る勢いだ。館内では数々のグッズも販売されている。1番人気は、日本を代表する歌い手の船村作品ではなく、自身が歌うCDだという。

 しのぶ会などで地元ゆかりの人たちにお披露目されていた文化勲章は、来月3日から記念館で常設展示される。数々のヒット曲を世に送り出した功績は、消えることがない。【赤塚辰浩】

 ◆船村徹(ふなむら・とおる)1932年(昭7)6月12日、栃木県生まれ。東洋音楽学校(現東京音大)でピアノと作曲を学び、歌謡曲など5500曲以上を作った。日本作曲家協会会長、日本音楽著作権協会会長などを歴任。16年、作曲家としては山田耕筰以来2人目となる文化勲章を受章。横綱審議委員会委員も務めた。