全国高校野球選手権で東北勢悲願の初優勝を懸けた金足農(秋田)だったが、あと1歩が届かなかった。しかし吉田輝星投手(3年)の地元、秋田県潟上市(かたがみし)では、全試合で先発したエースの奮闘に、市民や野球少年らが感動。この日の決勝のパブリックビューイングで声援を続けた。吉田の自宅近くには、小中学生時代にボールの壁当てをしていた跡が残っていた。
地元の潟上市役所はパブリックビューイングを開催し、市民約160人が声援を送った。路肩に停車した車からは軒並み、甲子園中継のラジオの音が漏れていた。
吉田の出身チーム、天王中野球部の畠山陽翔(はると)捕手(1年)が「本当に格好良かった。憧れです」と言えば、吉田が小学時代に所属した天王ヴィクトリーズの登藤海優史(みゅうじ)主将(6年)は「吉田さんの弟が5年生にいる。お兄さんが練習試合で帝京(東京)からいっぱい三振を取ったとか聞く。吉田さんのような全国で目立てる選手になりたい」と語った。潟上市民で年金暮らしだという村田文雄さん(76)は「我々が生きているうちに経験できないと思っていた夢を見せてくれた」と拍手を送った。
八郎潟調整池から近い田園風景の中に、吉田が住む集落がある。歩いてみると、類いまれな投球センスを生み出した“原点”を見つけた。自宅前にある民家の外壁が女房役の“ブルペン”だった。民家の男性は「小中学生時代、一生懸命に投球を壁当てしていた」と振り返る。壁には1カ所、セメントで補修した丸い跡があった。男性は「跡の近くにサインでも書いてもらいたいな」と笑った。
吉田の朝は早い。練習に向かうため、朝5時ごろ、家を出る。男性は早朝の畑仕事に出た時、吉田を見かけ「頑張れよ」と声をかけると「はい!」と大きな声でさわやかに返事があった。「素直ないい子だ。さらに夢を追いかけて」とエールを送った。
最寄り駅のJR男鹿線・二田(ふただ)駅に寄ると、始発は5時39分の秋田行き。駅員は「朝は早くて、帰りは遅いから吉田くんをあまり見たことがない」と話した。金足農2年の女子生徒は、午後9時ごろ、疲れ切っていすに座り、列車に乗る吉田を見かけ「格好いい」と思ったという。
自宅から車で2、3分の場所に、祖父理正(りしょう)さんの梨園がある。来月には黄金色に熟れそうな梨が、たわわに実っていた。大自然に囲まれて育った吉田少年は、秋田県勢103年ぶりの準優勝を勝ち取った大投手になり、文字通り地元の「輝く星」になった。【三須一紀】
◆潟上市(かたがみし) 2005年3月、飯田川町、天王町、昭和町の3町が合併し、誕生した。人口3万2000人、面積は秋田県内13市で最小の97・76平方キロ。日本海、八郎潟に面し、市名は八郎潟の上方に位置することに由来する。明治・大正期は油田開発が進められ、国内有数の油田地帯だった。天然アスファルト発祥の地でもある。主な出身者に格闘家の桜庭和志、水中写真家の中村征夫氏。