最大震度7を記録した北海道胆振地方のむかわ町で、地震発生の6日から炊き出しを続けるボランティアがいる。北海道清水町の「やんじー」こと、山口幸雄さん(72)。災害支援を続けて42年になる。雲仙・普賢岳噴火、阪神・淡路大震災、東日本大震災、最近では熊本地震…。西日本豪雨も含め、これまで炊き出しを行った各地の被災者から届いた食材や支援金が、山口さんを通じて北海道地震の被災者の体を温めている。むかわ町では陸上自衛隊と協力しながら、700食を振る舞った。
「どんどん持っていって」。避難所の軒下の調理場で、山口さんはボランティア仲間に指示を出した。11日の昼食は、できたてのミートソーススパゲティ。陸上自衛隊のポトフとの洋食コラボで、700食。友達が避難所におらず、1人で遊んでいた小学3年の男児も大盛りのパスタをほおばり、「おいしい」と笑顔になった。
厚真町に隣接するむかわ町は震度こそ「6強」だったが、1階部分がつぶれるなどの家屋被害は30世帯以上。19世帯49人に避難指示、勧告が継続されており、日によって400人以上が避難所で過ごす。「温かい食事は一番元気になれる。食べてくれた笑顔を見たくてやってるのさ」。山口さんはそう言って笑った。
ボランティアを始めたのは1978年(昭53)。31歳の時だった。95年の阪神・淡路大震災、04年の新潟県中越地震、07年の新潟県中越沖地震、08年の岩手宮城内陸地震、11年の東日本大震災…。14年広島豪雨、16年の熊本地震、今年7月は西日本豪雨。災害があれば駆けつけ、被災者のニーズがある間は続ける。東日本大震災では宮城県南三陸町で3年間、1日1500食を炊き出した。
炊き出しの材料や費用は、山口さんの炊き出しを食べたかつての被災者やボランティア仲間から届く。北海道内からは野菜などが現物で、熊本地震で震度7を2回記録した益城町や、西日本豪雨で水没した岡山県倉敷市真備町地区からも続々と支援金が届いている。
6日未明の地震発生時は伊達市に滞在していた。清水町の自宅に機材を取りに戻り、むかわ町まで約400キロ。初日の夜は妻由里さん(48)と2人で駆けつけ、おにぎりを振る舞った。メニューは毎食違う。特に高齢者は、避難所生活で食欲をなくしがちだからだ。7日は焼きうどん、カレーライス(甘口、辛口)、8日は玉子丼、9日はそうめん、豚汁、10日は野菜炒めにマーボーなす。札幌で被災した調理師らも駆けつけた。日替わりで新たなボランティアが駆けつけ、炊き出し班に加わる。
地元北海道で起きた甚大な災害。「何としても早く、普通の生活に戻したい」。車中泊を続けながら、やんじーは今日も、軒下の厨房(ちゅうぼう)に立つ。【清水優】