橋本聖子五輪相(56)の父、橋本善吉(はしもと・ぜんきち)さんが19日午後7時4分、老衰のため、北海道安平町の自宅で亡くなった。96歳。23日の閣議後会見後、取材に応じた橋本氏によると、善吉さんは夏ごろから自宅療養していた。「父は仕事人間だったので、仕事を優先しろと。何度も今日、明日がヤマだということがあり、そのたびにとんぼ返りでした」。

亡くなる前日の18日朝、容体が思わしくないとの連絡を受けた橋本氏は同日夕、善吉さんの元に駆け付けた。「初めて父の隣に寝て一晩看病したのですが、多分、それで満足してすぐ亡くなったのでは。一晩、私に看病させないと死ねないと思ったんじゃないかとみんなに言われました」。愛娘が19日午後、東京に戻った後、善吉さんは眠るように息を引き取ったという。

善吉さんは、北海道から64年東京五輪開会式に駆け付け、目の前で見た聖火に感激し、開会式5日前に生まれた橋本氏を「聖子」と命名。橋本氏は善吉さんの方針で、3歳からスピードスケートを始め、五輪は冬4回、夏3回と計7回出場し、「五輪の申し子」と呼ばれる選手に成長した。

また、善吉さんは牧場を開き、中央競馬で8戦無敗の名馬マルゼンスキーなどを輩出したことでも知られる。橋本氏は「来年の五輪を見たかったと思いますが、96ですから。最後の最後で私の大臣の姿を喜んでもらい、間に合ったなという感じです」と話した。通夜は24日、告別式は25日に営まれる。【近藤由美子】