自民党の小渕優子組織運動本部長は12日、小渕内閣の官房長官や自民党参院議員会長などを務めた青木幹雄(あおき・みきお)氏の訃報を受けて、党本部で取材に応じ「父の代からお世話になっていた。本当に残念で寂しい。大きな穴があいてしまったような気持ちだ」と、時折涙をにじませながらしのんだ。

小渕氏は、父小渕恵三氏が首相在任中に急死したことを受け、地盤を継いで2000年6月の衆院選に出馬、初当選した。「初出馬の時も駆けつけてくださり、一緒に遊説していただいた。『この若い候補者をよろしくお願いします』と頭を下げてくださった」と振り返り「父亡き後、青木先生は私にとって政治の世界での親代わりだった。当選してここに来てからは、青木ファミリーの一員でいちばん末席にいさせていただき、どんな時も温かくご指導いただいた」と語った。

思い出の言葉を問われると、「あまり口数の多い先生ではない。『だわね』『いかんわね』というのが口癖だった。お言葉は柔らかいが、ひとことひとことに重みがあった。その時々、励ましを含めていろんな言葉をいただいてきた」と話した。昨年11月、青木氏が岸田文雄首相や森喜朗元首相らと早大の施設内で会食した際に同席したのが、青木氏と会った最後の機会になったという。

「私の父が早大雄弁会のころからのご縁で、青木家と小渕家は半世紀以上のご縁。公私を越えて、ご指導をいただいた。父が首相の時、苦しい時を女房役という官房長官として支えていただいた。青木先生しかおられなかった」と、父恵三氏も支えてもらったことに、娘として謝意を示した。 青木氏は、旧竹下派の流れをくむ「平成研究会」(現茂木派)で大きな影響力を保ってきた。「ドン」の死去で、茂木派の今後の結束にも影響が出るとの見方がある中、青木氏の死が派閥への影響を問われた小渕氏は「私が申し上げる立場にはない」とした上で「現役時代はもちろん、引退から10年以上たつ中でも、青木先生の存在感は大変大きかった。青木先生という羅針盤を失ったことは大きな悲しみで、損失。つらいことではあるが、しっかり結束をしてやっていくことを青木先生は望まれた。これまでのご指導に恥じないよう、政治家1人1人がやっていくことが大事」と、口にした。【中山知子】