「公共交通機関のみを利用して山陰本線の閑散区間の全駅を巡る旅」は、周囲に何もない宇田郷で、ぼんやりした時間を過ごした後は、バスも駆使してつないでいったが、事前の下調べのミスもあり、ちょっとヒヤヒヤものでもあった。また道中では、いろいろな現実を見ることにもなる。(訪問は昨年11月4、5日、バスの時刻は時刻表の時間)

日清戦争直後の1897年、私鉄によって京都付近が開通した山陰本線は昭和初期の1933年に全線が開通した。約670キロもの距離を40年もかけずに敷設したのは当時としては急ピッチの工事ともいえるが、最後に残ったのが須佐~宇田郷である。乗車してもらえば分かるが、山間部の後は河口を鉄橋で渡る必要があり、難工事が想像できる。駅間は8・8キロもあって、この間は単に遠いというだけでなく、雰囲気は昔で言えば国境、今なら県境という面持ちだ。この間にバス路線がないのも何となく分かる気がする。

実際にこの間は今も市境で、山陰本線で益田から西へ県境を越えると須佐までが萩市で宇田郷から奈古までが阿武町。長門大井から西が再び萩市となる。平成の大合併の際、単独町制を選択したために阿武町の周囲を日本海と萩市が囲む形になっている。

◆宇田郷10時14分→奈古10時21分

さて、その宇田郷である。周囲に何もない駅だが、最初からその予定だったのだと思われる。駅ができた時、現地は宇田郷村にあり、その村は東側の惣郷村、西側の宇田村がひとつになったもの。おそらくその間に駅を設置したのではないかと思われる。もともとは国道に面する駅舎があり、外に出ると国道を挟んですぐ海という絶景の駅だった。夕陽もきれいだったらしい。海に近すぎるためか、やがて現在の防波、暴風壁ができて昭和初期からの駅舎も解体。今風で言うと「かつては映えた」駅となってしまった。(写真1、2)

〈1〉周囲に何もなく、待合所と電話ボックス、郵便ポストだけの宇田郷駅
〈1〉周囲に何もなく、待合所と電話ボックス、郵便ポストだけの宇田郷駅
〈2〉昭和初期の一時期は終着駅だった。長いホームを持つが片側のホームと線路は使われていない
〈2〉昭和初期の一時期は終着駅だった。長いホームを持つが片側のホームと線路は使われていない

とにかく9時12分に着いた後は、ここで1時間ぼんやりするしかない。惣郷から駅前を通って奈古に向かうバスはあるが旅程に合わなかった。かつての駅跡にポツンと待合室。電話ボックスとポストの味付けがシュールな感覚を増す。だが、ふと気付くと、いつの間にかお客さんがもう1人。50代と思われる男性が新聞を読んでいる。時計は10時を回っていて時刻表に合わせて来たのだろう。地元の方のようだ。前日の戸田小浜、江崎そして今日の木与とホームに私しかいない時間ばかりだったので、ちょっとうれしかった。

◆(バス)奈古駅前10時40分→越ケ浜駅前11時

奈古は阿武町の中心駅。何人かのお客さんが降りて乗ってきた。駅舎を出た交差点もいかにも駅前のそれである。さすがはかつての急行停車駅。駅員さんもいた。年配の方で簡易委託のようだ。写真を撮っていると「どこから来たの?」と話しかけてこられたので、少し雑談。本当は昔話などもっとしたかったが、こんな時に限って接続が妙にいい。次の列車は3時間半後(笑い)だが、バスが20分後なのだ。バス停は少し離れているようだが、位置を尋ねると「すぐ分かるよ」。うーん、確かにすぐ分かった。(写真3~6)

〈3〉昭和初期からの駅舎が残る奈古駅は阿武町の中心駅
〈3〉昭和初期からの駅舎が残る奈古駅は阿武町の中心駅
〈4〉奈古駅の駅舎内。無人駅ではなく窓口できっぷ販売をしている
〈4〉奈古駅の駅舎内。無人駅ではなく窓口できっぷ販売をしている
〈5〉奈古の駅名標
〈5〉奈古の駅名標
〈6〉「すぐ分かる」と教えてもらった奈古駅前のバス停。この色は遠くからも一目瞭然だった
〈6〉「すぐ分かる」と教えてもらった奈古駅前のバス停。この色は遠くからも一目瞭然だった

バスに乗り込むと、だんだん街が開けていくのが分かる。越ケ浜は戦後の1960年開業の山陰本線では新しい駅。東萩まで1駅。付近には海に面した宿泊施設が見られる。高台に設けられ、階段を上ったところに単式ホームと待合所だけがある。(写真7~10)

〈7〉高台にある越ケ浜
〈7〉高台にある越ケ浜
〈8〉駅から国道と港を見下ろす
〈8〉駅から国道と港を見下ろす
〈9〉戦後設置の駅だが名所案内は年季が入っていた
〈9〉戦後設置の駅だが名所案内は年季が入っていた
〈10〉越ケ浜の駅名標
〈10〉越ケ浜の駅名標

◆(バス)越ケ浜駅前11時14分→大井馬場11時28分

路線的には1駅戻る。長門大井駅に最も近いバス停で、駅まで徒歩7、8分ぐらい。こういう時は道案内のアプリは大いに助かる。狭い道路を進むと線路が見え、踏切から駅が見えた。ユニークな駅で、かつて理容店が入居していたという。理容店がきっぷの委託販売も担っていて因美線の因幡社(鳥取県)を思い出す。理容店があった部分は「空き家」となっているようだが、完全に一軒家のたたずまいだ。(写真11~15)

〈11〉長門大井駅にはかつて理容店が入っていた
〈11〉長門大井駅にはかつて理容店が入っていた
〈12〉理容店が入居していた部分は完全に「家」だった
〈12〉理容店が入居していた部分は完全に「家」だった
〈13〉長門大井の駅舎内。今は無人だが、かつては理容店がきっぷ販売を委託されていた
〈13〉長門大井の駅舎内。今は無人だが、かつては理容店がきっぷ販売を委託されていた
〈14〉京都からのキロポストと思われるものが線路脇に残っていた
〈14〉京都からのキロポストと思われるものが線路脇に残っていた
〈15〉長門大井の駅名標
〈15〉長門大井の駅名標

この後は、いよいよ東萩へ向かうが、越ケ浜への道程で車窓から、こちらが「神駅」であることを認識していた。正確に言うと「神停留所」か。なんとバス停にほぼ隣接してコンビニがあるのだ。これはうれしかった。前日の江崎でも10分以上歩いたバス停付近に、お客さんがひっきりなしに出入りするご飯屋さんがあったが、バスの時間がすぐで入れず。この日は奈古で駅員さんと話している際、駅の向かいを指さして「あそこのお昼は量も多くてうまいよ」と教えてもらったが、バスの時間がすぐだった(そもそも開店前の時間だった)。一方で自販機すらない宇田郷で1時間ぼんやりせざるを得ないという「ローカル線駅巡りあるある」だが、このコンビニは貴重である。

◆(バス)大井馬場12時21分→東萩駅12時43分

実は貴重だったのは、ここでの時間だった。奈古駅前のバス停で時刻表を見て、自らの「予習」で認識していないバスがあることに気付いた。列車本数も少なく、間違いは命取りとなるので、その後は予定通りの行動をとったが、コンビニの外でムシャムシャとサンドイッチをほおばりながら何気に駐車場に張られていた近辺地図を見て認識が間違っていたことを知らされた。2方向からのバス路線が、ここ大井馬場でひとつになるので本数も増えると踏んでいたが、同じ停留所名でありながら、バス停は離れていたのだ。私が乗ろうとしていたのは認識していない方のバス停。そのうち認識している方のバス停にお客さんが三々五々集まってきた。奈古で知った便だ。事なきを得たが、誠に危ないところだった。(写真16、17)

〈16〉大井馬場のバス停近くにあったコンビニに救われた
〈16〉大井馬場のバス停近くにあったコンビニに救われた
〈17〉コンビニ駐車場の地図でバス停が2つあることを知る
〈17〉コンビニ駐車場の地図でバス停が2つあることを知る

平日の昼間でありながら、奈古と萩中心部を結ぶバスはかなりにぎわっている。もちろん本数もあって平日は1日10・5往復。前述した通り大井馬場で合流する路線もあって本数が増える。通勤通学時間は、さらに利用者が増えるのだろう。バスなので細かく止まっていく上、萩市内だけでなく萩市と周辺都市を結ぶ路線では敬老割引もあるようだ。何か記事を書く度に「バスに押される鉄道」に触れている気がするが、そんなことを考えているうちに萩市の中心駅である東萩に到着した。5年ぶりにやってきた。【高木茂久】(写真18)

〈18〉萩市の中心駅である東萩
〈18〉萩市の中心駅である東萩

○…食事中の方は、ここから先は後で読んでいただきたいが、ローカル線の駅巡りで最大の敵は生理現象。訪問日は昼間の気温20度と過ごしやすい気候だったが、朝夕はグンと冷え込んで近くなる。駅にトイレがあればいいが、ローカル線の駅に必ずしもあるとは限らない。特に宇田郷は絶対ないと分かっていたので木与から1駅だけの乗車だったが、乗り込むと同時に車内トイレに直行。路線バスにない良さはこれである。今回はコンビニにも救われた。ちなみにこの前後も1駅乗車で車内トイレに直行という行為を繰り返したが、ワンマンの運転士には不審に思われたかもしれない。