北京オリンピック(五輪)スピードスケートは12日、男子500メートルが行われる。代表3人のうち、新浜立也(25=高崎健康福祉大職)森重航(21=専大)は別海町で生まれ、小中学時代は同じスケート少年団「白鳥」に所属していた。ともに目標にしてきた五輪でメダル有力候補として臨む2人に、少年団時代に指導した小村茂監督(51)が「楽しんで」とエールを送った。帯広市出身の村上右磨(29=高堂建設)を含む日本勢3人は11日の公式練習(国家スピードスケート館)で状態も確認し、準備は万全だ。

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2月11日、別海町ではスピードスケート別海町選手権が行われる予定だった。1年に3大会あるうちの最後の大会だが、コロナ禍で中止になった。だが一夜明けての12日、わくわくドキドキ、人口1万4500人の町に、待ちに待った瞬間がやって来る。

小村監督 北京でのタイムトライアルなどでの印象では新浜も森重も集中しているようだし、楽しんでいると思います。子どもたちには、2人が楽しんで滑っているところを見るように伝えています。技術面で新浜のスタートダッシュ、森重のコーナーワークという持ち味も見てほしいですが、まずは楽しんでほしい。

町ぐるみでのパブリックビューイングは控え、スケート関係者と少年団「白鳥」の団員に絞り40~50人で行う。小村監督は「2人とも帰省したら少年団に顔を出してくれる。やさしいお兄ちゃんです」と、子どもたちも2人の活躍シーンを心待ちにしている。

4歳違いの2人の“お兄ちゃん”が世界レベルの選手に育った礎には、町のスケートにかける熱意がある。81年、町スケート協会の楠瀬功会長(77)が町に働きかけ町営リンクが整った。長女の森野(旧姓楠瀬)志保さんが94年リレハンメル大会で同町初の五輪スケート競技代表になり、98年長野大会にも出場した。引退後、地元に戻り子どもたちの指導に加わった。小村監督は「コーチは多いときで5人。みんな少年団のOB、OGですね」と固い結束がある。

みんなで支えてきた。1周400メートルの町営リンクは、冷却装置のない天然施設。毎年秋に草むしり、アスファルト敷設のトラック全面に白色のペンキを塗る。「土台が黒ずんでいると、氷が溶けやすくなる」(小村監督)。極寒のなか、水撒きをして設営する。

小村監督は「2人に共通点がありますね。周りへの感謝を忘れず、スケートが大好きなこと」。12日、別海町は熱い1日になる。【大滝貴由樹】

<森野志保さんもエール>

別海町初の五輪スピードスケート代表になった森野さんは、2度目の五輪となった長野大会後に引退し99年に故郷に戻った。「白鳥」のコーチとして指導にあたり「新浜は恵まれた体格でしたが最初は欲がなかった。森重は体が細くて、練習でもよく『寒いっ』と震えてましたね」と当時の印象を話した。自身2度の五輪はともに500、1000、1500メートルに出場しリレハンメルで1000メートル6位入賞。「(2人には)悔いのない滑りをしてほしい」と激励した。

◆北京五輪スピードスケート代表の出身地 男女15人のうち、北海道出身者は12人を占める。別海町出身には、18年平昌大会に出場し、今回開会式で日本選手団旗手も務めた郷亜里砂もおり、市町村別で最多の3人。郷は少年団「別海ライジング」に所属していた。高木菜那・美帆姉妹の幕別町が続き、他は各市町村1人。