「キング」はなぜプロにこだわり、実現できたのか。体操男子個人総合で五輪2連覇の内村航平(30=リンガーハット)が日本体操界初の「プロ」となったのは16年12月。普及、競技価値向上を目指し、意外なパートナーに選んだのは中村俊輔、長友佑都らと契約する大手サッカーエージェント事務所「スポーツコンサルティングジャパン(SCJ)」だった。東京五輪前年の戦いが始まる4月の全日本個人総合選手権(高崎アリーナ)を前に、舞台裏、現在地に迫る。


18年5月、NHK杯男子個人総合であん馬の演技をする内村
18年5月、NHK杯男子個人総合であん馬の演技をする内村

■2月28日

「プロ体操選手、内村航平さんです!」

東京・お台場の特設会場にアナウンスが流れた。東京マラソンを控えたアシックス主催のトークショー。多くの目が見つめる壇上で、日本初の肩書を持つ内村が語っていた。

「プロ」。そう呼ばれ、2年以上が過ぎた。普及と競技の価値向上を主眼に、現役中の転向にこだわった。所属の一社員の枠にとらわれずに活動するには、プロ化が必須だった。「現役中が一番パワーを持っている。広げていくという意味でも説得力が違う。知名度もそれなりに保ってられる。引退後では、終わった瞬間に過去の人と見られ方をするんじゃないかなと」。可能にしたのが、ある出会いだった。それを「直感」と振り返る。「この人ならやってくれそうだと感じたんです」。

■15年末

SCJの西塚定人(46)は、知人を通じて連絡してきた内村と会った。Jリーグ創成期に浦和で現役を過ごし、その後01年にサッカー選手のエージェント業務を請け負うSCJを佃ロベルトと設立。中村俊、長友、岡崎、柴崎らトップ選手の移籍やマネジメントに携わってきた。その経験を元に助力を求められた。だが、「2、3回は断った」。サッカー専門集団として国内外の海千山千と闘ってきた自負はあったが、他競技は皆無。勝手が違う領域に、気持ちは後ろ向きだった。さらに、プロに必須のスポンサー集めにも厳しさが予見された。

内村は日本オリンピック委員会とシンボルアスリート契約(※)を東京五輪後まで結んでいた。その業種が多様で、重複せずに募るには範囲が狭すぎた。サッカーと違い年俸はない。固定収入がなく、よりスポンサーが命綱となる。厳しさを伝え、「断るために会っていた」2回目、3回目の会食でも、ただ内村の意志は固かった。その“三顧の礼”に押し切られた。「だったら、やってみるか」。リオで個人総合2連覇する前に、サッカー以外で初の契約選手は決まった。


17年3月、リンガーハットと所属契約を結び女性スタッフと撮影に臨む内村
17年3月、リンガーハットと所属契約を結び女性スタッフと撮影に臨む内村

体操界の現状をつぶさに聞いた。何しろ「お家芸」と呼ばれて半世紀以上、プロは1人もいなかった。その基盤などあるわけがない。例えばウエア。試合で着用する時にスポンサーロゴをつけたいが、何社まで良いのか。これにはまず、機能性の観点から何社まで可能かも探る必要もあった。伸縮性に鑑み、縫うか貼るか、大きさを調整する。「ちょっと突っ張りますね」など着心地を内村に聞けば、後に契約するアシックスと改良を続けた。

同時に、日程面から最大何社が可能かを探る作業も進めた。契約メリットを上げるために内村を何日拘束できるかが重要。練習時間を確保し、試合1カ月前からはイベントは入れないように調整すると、日数は限られた。「私たちの仕事の一番はパフォーマンスを下げないこと。プロになって成績が落ちたらとんでもない」。ウエアも含めた検討後、5社ほどが適当となった。



そこからは限られた業種を何十社も回り、資料を手にプレゼンを重ねた。「エレガンスさ」「オールラウンダー」などのキーワードを駆使。しばらくして、出身の長崎の企業リンガーハットからオファーが届き、他社も固まっていった。


■16年11月末

コナミを退社し、いよいよ「プロ体操選手」となった。SCJとの協議を重ねた日本協会も、サポート体制のため規約を変更して支えた。12月3日の理事会では「全面的に支援。協会とエージェント、内村選手との3者で細心の注意を払い活動を推進」という基本方針、ナショナルトレーニングセンターの全日使用許可を特例として承認した。

普及の観点から見れば、内村の意識は全く変わった。サッカー選手はプロになり立てにメディア研修を受ける。発信力のある立場として、距離感を学ぶ。体操選手には機会はなかった。どうメディアと付き合うかも普及には重要。西塚の助言も受け、安易に答えない、避けないことを心がけた。「ちゃんと答えられていますか?」と取材後には聞くなど、メディアの活用を思案するようになった。



収入の観点からも、全く変わった。年間の収入は推定で2億円を超えた。「いくらですか?」と聞いたこともなく、当人は金銭には無頓着だが、自前でコーチ、トレーナーの費用を払うことができた。ある調査では認知度が94%。芸能人を含めての限られた者だけが持つ「武器」のなせる金額ではあったが、体操で稼げるという事実を提示できていることも、競技価値の向上に寄与している。


■2月28日

トークショーを終えた内村は、ほほ笑みながらプロの日々を振り返り言った。東京五輪後も続くキングの先駆者としての闘いはまだ途上。ただ、確信はある。

「もともと未知の領域に踏み込んでいるので、いままでやってきたことが正解かとかは分からないですけど、やっていることに関して満足感を得られているし、一番発信できているんじゃないかな。やっている意味とか、大変さも含めて、すごくやりがいを感じてます。やって良かったと胸を張って言えるので」(敬称略)

※シンボルアスリート 日本オリンピック委員会(JOC)が展開する選手の肖像権を使ったマーケティング事業。最高位の協賛社だけがテレビCMなどに起用できる。


◆スポーツコンサルティングジャパン 01年6月設立。横浜の通訳から転身した佃ロベルト氏が代表取締役、西塚定人氏が取締役を務める。中村俊輔の欧州移籍を実現した手腕に、現在では国内の一流選手がエージェント契約を結ぶ。メディア露出などのマネジメント業務も行う。

◆SCJの主な契約選手 中村俊輔(磐田)長友佑都(ガラタサライ)岡崎慎司(レスター)柴崎岳(ヘタフェ)鎌田大地(シントトロイデン)阿部勇樹(浦和)西川周作(浦和)東慶悟(東京)斎藤学(川崎F)谷口彰悟(川崎F)山田大記(磐田)米本拓司(名古屋)那須大亮(神戸)前田遼一(岐阜)駒野友一(今治)


<取材後記> プロは幾ら稼げるかに1つの価値がある。プロ転向した内村の取材を通じ、まず驚いたのは推定2億円以上とされる年間のスポンサー料だった。

とかく五輪競技は、金銭面でアマチュアイズムの残り香が強い。サッカー、ゴルフなどのプロ競技と異なり、純粋にスポーツに奉仕する姿勢こそが美徳ともされかねず、収入面でポジティブな評価をされる機会も少ないように感じる。

昨年まで2年間ボクシング担当をした。そこでは○億円というファイトマネーが1つのステータスとされ、ビッグマッチこそ最高の関心と競技価値の向上を生んでいた。例えば、前WBA世界ミドル級王者の村田諒太は1月、王座陥落からの復帰会見で、菊池雄星投手が米大リーグのマリナーズと総額約120億円の大型契約を結んだ一報に、「日本のボクサーとしては成功したかもしれないけど、アスリート全体で比べたら成功の部類には入っていない」と奮起した。

将来その競技で稼げるのかは、十分に子供たちに夢を与える材料になる。内村本人は関心が薄いが、体操で稼ぐことを体現しているだけでも、大きな貢献だと考える。【阿部健吾】