平成から令和へ-。1万1069日間の平成の時代が4月30日、幕を閉じた。トップアスリートは「平成最後の日」をどう過ごし、何を感じているのか? 陸上男子短距離の飯塚翔太(27=ミズノ)らの1日に密着。スポーツ界も大きな変化を遂げた平成を振り返り、令和の時代への思いを聞いた。

★陸上飯塚翔太の一日★

8時00分 起床。朝食に「オートミール」を食べる

9時10分 東京・品川区の自宅マンションを出発し、車でNTCへ

10時00分 NTC到着。

10時03分 弟拓巳とNTC入り

10時32分 ウォーミングアップ開始。ハードルを使い、体を動かし、体幹トレーニング。拓巳とチューブを使ったトレーニング。

 
 

10時57分 短距離のダッシュを繰り返す

11時05分 スタート練習

スターティングブロックを調整しながら、念入りに20メートルほどを走る。

 
 

11時15分 世界リレー大会へ向け、リレーの練習をしていたトラックで遭遇し、小池と雑談。

11時17分 豊田コーチの撮影したiPad(アイパッド)の映像を確認。

11時24分 シューズからスパイクへ履き替える。間違えて拓巳のスパイクを履きそうになる。

 
 

11時27分 スパイクを履き、スタート練習。スマホのアプリで号砲を再現し、その後、映像を確認。

 
 

11時36分 カーブでスタート練習。病み上がりを感じさせない力強い走りを披露

 
 

11時45分 豊田コーチからスタートの姿勢を指導される。

12時10分 他社の取材を受ける

取材を受けているときに桐生祥秀から声を掛けられる
取材を受けているときに桐生祥秀から声を掛けられる

12時40分 NTCで昼食

 
 

15時00分 東京・品川の自宅マンションへ到着。シャワーを浴び、リフレッシュ

 
 

17時00分 兄弟でマリオカートを楽しむ

 
 

18時31分 兄弟で自宅近くの居酒屋に夕飯へ

 
 

■4月17日に急性虫垂炎の手術

午前10時3分。飯塚は練習パートナーも務める末弟拓巳(中大3年)と東京・北区のナショナルトレーニングセンター(NTC)に姿を見せた。アジア選手権が開催されるドーハへ出発予定だった4月16日夜、急性虫垂炎を発症。17日に手術を受け、21日に退院したばかり。へそなど3カ所には内視鏡を入れる穴をふさいだ痕が生々しく残る。笑いながらTシャツをめくり、その傷を見せてくれた。

「全身麻酔でした。『5回深呼吸してください』と言われ、3回で寝ちゃいました。起きたら手術が終わってて。術後はへその傷が痛く、寝返りが打てませんでした。手術した日は酸素マスクもつけてましたよ」

もう痛みは消え、練習は再開している。10時32分、ハードルやチューブを使用し、ウオーミングアップを始めた。その後、スマートフォンのアプリで号砲を再現し、スターティングブロックからダッシュを繰り返した。時に豊田コーチが撮る動画を確認。練習が終わると、周りに自然と人が集まるのは人柄だろう。

NTCで拓巳、豊田コーチと昼食を済ませ、午後3時に車で東京・品川区の自宅マンションに戻った。地元・静岡のお茶を入れ、次弟裕也さん(25)も交じり、マリオカートを楽しんだ。部屋はリフレッシュの場。だから意図的に陸上を連想するものは置かない。ただ2016年(平28)リオデジャネイロ五輪男子400メートルリレーの銀メダルだけは手元にある。持ってきてもらうと、メダルは傷だらけ、ひもはボロボロ。行く先々のイベントで幾多の人に触ってもらったからだ。だが、気にしない。「家にあるだけでは鉄くずと同じ」とまで言う。その傷も次世代へつながると粋な勲章と捉える。「小学生は話をするより、メダルを見せた方が記憶、心に残りますから。何かパワーを与えられたり、アシストできたりすれば」。そして話題は競技に及んだ。


飯塚はリオ五輪の陸上男子400メートルリレーで獲得した銀メダルを手に笑顔を見せる(撮影・松本俊)
飯塚はリオ五輪の陸上男子400メートルリレーで獲得した銀メダルを手に笑顔を見せる(撮影・松本俊)

平成の時代。日本スプリント界の立ち位置も変わった。「日本人は勝てない」と言われたトラック種目。2008年(平20)北京五輪の男子400メートルリレーで日本は銀メダル(銅から繰り上がり)を獲得した。日本勢のトラック種目の五輪メダルは男子初、女子を含めても1928年(昭3)アムステルダム五輪800メートル銀メダルの人見絹枝さん以来、80年ぶりだった。

飯塚は、当時第3走者を務めた高平慎士さんと2012年(平24)ロンドン五輪男子400メートルリレーで一緒に代表になった。印象的なことがある。

「僕たちが自由にのびのびできるようにやってくれました。当時、自分からはコミュニケーションを取れなかったけど、先輩から取りに来てくださり、引き出してくれました」

バトン練習1つでも「今どうだった?」と聞いてくれたという。先輩風を吹かすことはなく「同じ目線で話をしてくれた」。当時、シニアの舞台で実績がなかった自身も萎縮のない環境に助けられた。ただロンドンは5位(4位へ繰り上がり)。メダルを逃した高平さんから「オリンピックで借りを返そう」と伝えられた。その後、飯塚は同じく代表だった山県と満員のスタジアムに戻り、雰囲気、悔しさを胸に焼き付けた。

迎えたリオデジャネイロ五輪。飯塚はリレーに出場したメンバーで最年長となった。立場変わって、引っ張る存在となり、年下の選手たちが力を出し切れるムードを作った。あの侍ポーズを考案したのも飯塚だ。「一番は自然。例えば個人で力を出せなかった人に気を使って話すことは、逆に相手に気を使わせることにもなる。変な空気を出さない」。日本中を感動に包み、翌年の世界選手権も銅メダル。歴史を受け継ぎながら、日本は男子400メートルリレーの強豪となった。

時代は平成から令和へと移り変わる。「人によっては流れが変わるタイミングになるかもしれない。僕なんか虫垂炎から退院したばかりですけど、また明るくなるような新しい空気感が出るかもしれない」。令和2年に東京五輪を迎える。リレーの金はもちろん、個人種目でも決勝進出が目標だ。「手応えはあるけど、リオからステップアップした結果は出ていない。違った自分を見せられたら」と誓った。

一通り話を終えた18時31分、裕也さん、拓巳と予約していた居酒屋へ向かった。マグロの刺し身、イカ、サラダなどを注文した。「令和へ向けて、平成に乾杯」。そう言ってグラスを合わせた。次なる歴史を紡いでいく。【上田悠太】

◆飯塚翔太(いいづか・しょうた)1991年(平3)6月25日、静岡県御前崎市生まれ。浜岡中-藤枝明誠高-中大。14年4月ミズノに入社。10年世界ジュニア選手権200メートルをアジア人として初制覇。自己記録は100メートルが日本歴代9位の10秒08、200メートルが日本歴代2位の20秒11。男子200メートルでは過去2度ずつ五輪、世界選手権、アジア大会に出場。男子400メートルリレーでは第2走者を務め、16年リオデジャネイロ五輪銀、17年世界選手権の銅メダルに貢献した。186センチ、80キロ。


■競泳・渡辺一平 令和最初の世界新へ

競泳男子200メートル平泳ぎ世界記録保持者渡辺一平(22=トヨタ自動車)は、平成最後の日も泳いでいた。午前7時半、練習拠点である早大・所沢キャンパスのプール。じっくりと3時間の練習を行って、昼食にはビッグサイズのナンとカレーをぱくり。午後1時から休息をとって、再び午後4時から2時間半をプールで過ごした。1日2部練習とトレーニングに余念がない。


午前練習を終えて、昼食で顔の2倍以上あるナンを手にする競泳渡辺
午前練習を終えて、昼食で顔の2倍以上あるナンを手にする競泳渡辺

実は帰国直後だ。国際水連主催の「チャンピオンズ・スイム・シリーズ」中国大会に出場した。29日午後8時に羽田空港に帰ってきた。それでも午前6時45分起床で練習に向かう。平成最後のレースとなった中国では、金メダル争いの宿敵チュプコフ(ロシア)に直接対決で後れを取った。

「すごく危機感がある。しっかりと今、強化していかないと世界選手権で思い描いているいい結果が出せない」


昼食後に自宅で体をケア
昼食後に自宅で体をケア

17年1月に世界記録2分6秒67を樹立。7月の世界選手権韓国大会では「ぶっちぎりで金メダル」を目標に掲げる。渡辺が自己記録を更新すれば、日本スポーツ界にとって「令和最初のワールドレコード」になる可能性がある。

「世界記録を期待されることはとても名誉なことです。『未来への希望』を感じてもらうためにも成し遂げたい」


午後4時半から午後練習
午後4時半から午後練習

チャレンジを続ける渡辺にとって、1日1日が勝負だ。

「平成であれ、令和であれ、目指すべき頂は変わらない。ただ希望に満ちあふれた時代になることを心から願ってます。その意味でも東京五輪は『未来への期待』を感じてもらえるような大会にしなければいけません。スポーツ界の使命だと思っています」【益田一弘】


■空手の顔 清水希容「2020で恩返し」

空手女子形で20年東京五輪金メダル候補の清水希容(25=ミキハウス)が、新時代「令和」への誓いを立てた。大阪・八尾市の道場で「すごく濃い平成だった。空手を始めて15年で自分自身を知れて、いろいろな人とつながれた。2020(五輪)で恩返しできるように頑張りたい」と頼もしく言い切った。


令和への思いや、現状を語る空手女子形の清水希容(撮影・松本航)
令和への思いや、現状を語る空手女子形の清水希容(撮影・松本航)

昨年11月には3連覇を目指した世界選手権決勝で敗れ「絶望的なものだった」と準優勝の悔しさをかみしめた。優勝したスペインのサンチェスとは今季も国際大会で競い合い「最終的には五輪で勝つことが大事。そこを大事に取り組んで、鋭く、鋭く、技を磨きたい」と視線は1年後に向く。

五輪初採用の空手の顔として、大きな期待を背負う立場だけに「納得する演武をしないと、五輪の金メダルの意味がない」と見据えるのは頂点のさらに先。「五輪が100だとしたら、今は50%ぐらい」と評す完成度を高める作業に入る。