日本のスケボー少女が世界を席巻する。15日までブラジル・サンパウロで行われたスケートボード・パーク世界選手権で13歳の岡本碧優(Proshop Bells)が初優勝。2位に四十住(よそずみ)さくら(17)が入るなど、日本勢の活躍が目立った。18日に同じサンパウロで開幕するストリート世界選手権にも日本の少女が大挙参戦。オリンピック実施決定から3年、日本の子どもたちが世界に飛びだす。【取材・構成=荻島弘一】


日本のスケートボードが「スポーツ」として認知された(写真は平野歩夢)
日本のスケートボードが「スポーツ」として認知された(写真は平野歩夢)

地球の反対側で、日本選手が躍動する。14日の世界選手権パーク女子決勝。岡本は男子並みのバックサイド540(1回転半)を完璧にメーク。141センチの体が大きく宙を舞うなど異次元の滑りで圧勝してみせた。13歳の中学1年生。「アメージング」「アンビリーバブル」と、世界は驚く。若い選手が多いスケートボード界でも、特に若い。五輪予選大会3連勝、8月のXゲームも制したが、表彰台の中央は常に最も低い。

岡本だけではない。Xゲームで2位に入った開(ひらき)心那は11歳の小学生。菅原芽依と男子の内田琉已は12歳。18日に始まるストリートでも女子は「子ども」がズラリ。しかも、予選免除のシード選手で実力もある。

昨年パーク世界女王の四十住さくらは「若い選手が伸びてきている」と話した。思わず「自分も若いでしょ」と突っ込みたくもなるが、確かに他の選手と比べると「ベテラン」。五輪最年少出場や最年少メダルなど、五輪挑戦100年で日本が築いた年少記録が次々と更新されそうだ。



ワールドスケートジャパンの宮沢武久スケートボード委員長は「東京五輪効果です」と話す。3年前の五輪採用決定時、日本ローラースポーツ連盟(現ワールドスケートジャパン)役員は「若手は優秀だが、世界は強い。メダルは難しい」と話した。しかし、今やメダル有望。72年札幌五輪の「日の丸飛行隊」のように表彰台独占も夢ではない。

男子ストリートの堀米は「直接世界に出られるようになったから」と小中学生の躍進を説明した。世界最高峰ストリートリーグ(SLS)などスケボーの大会は「招待」が基本。堀米のSLS入りも下部大会などで実績を積み、数年かけて実現させた。ダムナム→タンパアマ→SLSなど段階を経るこれまでのパターンが五輪入りで変わった。

昨年始まった世界選手権は、1カ国3人まで誰でも出場できる。岡本は昨年の第1回日本選手権3位で代表入りし、同年の世界選手権5位から1年足らずで世界のトップに立った。回り道の必要がなく、スポンサーの資金も不要。実力さえあれば頂点まで一直線だ。

これまで小中学生は世界に挑戦さえできなかった。それが、連盟(ワールドスケートジャパン)派遣で費用の心配もない。「五輪予選」なら学校も休める。今まで「スケボーばかりでなく勉強もしなさい」と言っていた大人が「勉強はいいからスケボー頑張って」と後押しまでしてくれる。

連盟派遣の遠征。「はい並んで」「パスポートを手に持って」と、その様子はまるで修学旅行。西川隆監督も「まあ、引率の先生ですね」と笑う。それでも、大会になれば抜群の力で世界を席巻。日本の子どもたちは、世界で一番強い。



「五輪効果」は、スケボーそのものの環境も激変させた。五輪入り前は「若者の遊び」。大人たちが眉をひそめることも少なくなかった。騒音や公共物の破壊など、ネガティブに見られることもあった。それが、五輪になって変わった。

「昔はおまわりさんに追いかけられていたのに、今はおまわりさんが守ってくれる」と話す元スケーターもいる。警察官に怒られながらルールすれすれ(時には違反!!)で滑っていたのに、今度は大会などで一般のファンから警察官が守ってくれる。五輪競技になると、それほど変わる。

60年代、70年代の大ブームの頃は、街中(ストリート)で滑るのが当たり前だった。徐々に規制が厳しくなり「街からスケボーを締め出せ」という動きまで起きた。ところが、五輪競技になって注目されると、全国に公共のスケートパークが次々と造られた。「街の厄介者」が、今は「町おこし」の切り札として期待されるようになった。

スケボーは先に五輪入りしたスノーボードや東京五輪新競技のサーフィンなどとともに「音楽」と「ファッション」とも密接につながる。大音響で曲を流しながら滑ることもスケボーの「スタイル」。中には「スポーツに音楽は必要ない」という声もあるというが、東京五輪スケボー会場になる「アーバンクラスター」では、間違いなく音楽とDJが大きな音で鳴り響く。

かつて、やんちゃな若者が楽しんでいた昭和の頃、スケーターは近寄りたくなく「やばい」やつらだった(と思っている人も多かった)。しかし令和の今、世界で活躍するスケーターは憧れの「やばい」やつらになった。スケボーに、ようやく時代が追いついた。

パークの世界選手権最年長は平野と笹岡の20歳。日本選手11人の平均年齢は15・7歳だった。ストリート世界選手権は最年長が堀米の20歳で、平均年齢はさらに若い。もともと「子どもの遊び」で、学校を卒業して続けるスケーターは少なかった。

五輪競技となって「スポーツ」としての認知度は高くなった。それでも、選手の意識は変わらない。コーチはYouTube、スマホをポケットに入れ、イヤホンを耳に練習する。五輪競技になっても、選手にとっては今も「遊び」だ。1年後の東京五輪、有明で遊ぶ少女たちが日本中を沸かせるのは間違いない。



◆日本人選手の五輪表彰台独占 過去に夏季大会5回、冬季大会で1回ある。32年ロサンゼルス大会競泳男子100メートル背泳ぎが初。当時の日本は「水泳王国」で男子6種目中5種目を制した。72年ミュンヘン大会では体操でメダル量産。男子8種目中5種目優勝で、メダルは計16個だった。その後「勝ちすぎる日本」が問題となり、1種目の出場者を1カ国2人に制限。競泳とともに、メダル独占は不可能になった。


◆東京五輪への道 パーク、ストリート男女各20人で1カ国各3人まで。来年5月の世界選手権3位までが出場権を獲得。残りは来年6月1日の五輪ランキングから16人と開催国1人(ランキング最上位)。五輪ランキングは対象大会で付与されるポイントで決定。19年シーズンは得点の大きい2試合分を採用し、今年10月から始まる20年シーズンは同様に5試合分が加算。予選対象大会は国内選手権まで5段階で世界選手権が最もポイントが大きい。