日本のテニス界に、オリンピック(五輪)のテニス競技を支え続けた親子がいる。日本テニス協会副会長の川廷(かわてい)尚弘氏(51)が東京五輪・テニス競技で初のテクニカル・デレゲート(TD=競技運営責任者)に就任した。父栄一氏(故人)は、88年ソウル五輪から12年ロンドン五輪までTDを務め、今回、その重責を受け継いだ形になる。オリンピックのテニス競技を支えた親子の人生に迫る。【取材・構成=吉松忠弘】
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1988年ソウル五輪で、テニスは1924年パリ五輪以来、64年ぶりに正式競技として復帰した。そのテニス会場を、感慨深げに見ていた2人の男がいる。国際テニス連盟(ITF)のシャトリエ会長(フランス)と川廷栄一理事だ。五輪へテニスを復帰させる夢が実現した瞬間だった。2人が、議論を重ねてきた姿を、栄一氏の次男、尚弘氏は見てきた。
◆川廷 80年代、シャトリエ会長は、何度も(兵庫)芦屋の自宅まで来ていた。「朝まで生テレビ」みたいに、居間で、五輪のテニスについて、2人で熱い議論を交わしていた。
会長は、栄一氏に「アジアを任せられるのは君しかいない」と絶対的な信頼を寄せ、2人で五輪のテニスを作り上げた。
◆川廷 全く前例がない。私も同じだが、最も苦労したのが、4大大会と五輪の環境のバランスだ。他競技との関連で、4大大会の会場や設備と同等のものは望めない。しかし、少しでも普段の環境に近づけないと選手は見向きもしない。その繰り返しだった。
ソウルの五輪テニスセンターは、栄一氏が一から設計に関わった。
◆川廷 当時の全米のセンターコートを徹底的に研究。それと同クラスのものをつくりたいと頭を悩ませていた。そこでも、五輪を4大大会級にと考えていたみたいです。
同時期に、東京五輪の舞台となる有明テニスの森公園と、その後の有明コロシアムの設計にも尽力。韓国と日本のテニスの“聖地”作りに奔走した。
◆川廷 父は、自分のことをオリンピック主義者だと言っていた。実家で父の部屋の戸棚を開けると、64年の東京五輪のパンフレットとか出てくる。1度も使ったことがない64年東京五輪のハンカチとか。テニスが五輪に戻ってきたら盛り上がるというのが口癖だった。
北京五輪が行われた08年の6月のことだった。栄一氏の母、尚弘氏の祖母芳枝さんが亡くなった。栄一氏は、英国ロンドンで行われたITFの五輪委員会会議に出席中。日本男子の新星、錦織圭が主催者推薦枠を得られるかどうかの大事な会議だった。
◆川廷 父は会議が終わるまで帰らないと。自分の母親が亡くなっても、ずっとウィンブルドンにいた。僕は、そんなにオリンピックが大事なのかって電話口で叫んだ記憶がある。
12年ロンドン五輪の前の3月に、栄一氏自身も倒れた。3日間、病院で昏睡(こんすい)状態だった。
◆川廷 母と私が見守っていて、3日目にふっと目覚めた。その第一声が「錦織は大丈夫だけど、伊達は無理かな」。ロンドン五輪の日本選手の出場権についてだった。母が手を握りながら、意識が戻った開口一番がこれ。頭の中はオリンピックしかないと、母が怒っていた(笑い)。
五輪にのめり込む父の背中を見ながら、尚弘氏も、ほぼ同じ道に足を踏み出した。96年アトランタ五輪にITF国際審判として五輪初参加。TDだった父と、初めての親子“共演”を果たした。
◆川廷 審判になったとき、やはり五輪で働きたいと思った。最初は、やはりテニスは4大大会と思っていた。しかし、五輪を経験すると、賞金も出ないのに、選手が選手村に一緒に泊まり、3位までメダルをもらう。4大大会なら、名前が刻まれるのは優勝か準優勝まで。いつもはダブルスに出ない選手がダブルスに出たり。4年に1回、あるべきなのかもしれないと感じた。
五輪の予行演習にもなったユニバーシアード競技大会テニス競技のTDを、13年ロシア・カザン大会から5大会連続で務めている。
◆川廷 ユニバは2年に1回、回ってくる。ミニ五輪で、非常にいいトレーニングをさせていただいている。調整はすごく難しい。テニス界のことを、そのまま押しつけても、とんちんかんなだけなので。ちゃんと説明して、折り合いをつけて進めて行くのは大変。
父栄一氏は、自分の後を追う息子に、決して「後を継いでほしい」とは言わなかった。それは、スポーツ界の役員の大変さが身に染みていたからだ。
◆川廷 逆に、やらなくていいとはよく言われた。もちろん、この世界に一緒にいるのはうれしいと。ただ、どんどんのめり込むと、組織に入り、他国と交渉し、苦労と出費ばかりで、何ももうからない。体も壊し、結婚も遅れるよと心配していた。
12年ロンドン五輪に、父栄一氏は体調不良で実務ができなかった。しかし、ITFは、栄一氏のそれまでの実績を重んじ、TDに名を残した。13年8月に栄一氏は死去。16年リオデジャネイロは、川廷家にとって、初めてTDと無縁の五輪となった。
尚弘氏にとって、初のTDに挑む東京五輪は、酷暑だけでなく、新型コロナウイルスという最もやっかいな課題を抱える。熱中症に加え、感染症対策にも気が抜けない。
◆川廷 これも前例がないから、頭を抱える問題ばかり。大変。父なら、どうやって対処するだろうと、時々、考えたりする。でも、会場自体は、12年ロンドンのウィンブルドンにはかなわないけど、見てきたアトランタ以降では最もいいと自負している。世界で最もスムーズに運営できる五輪テニス競技だと思っている。
父栄一氏が構想し、指示してつくらせた有明コロシアムは87年に完成した。それから24年。その舞台には、息子の尚弘氏がTDとして立つ。
◆川廷 父がつくったのが収容人員1万人のコロシアム。僕は、東京五輪に向けて、有明の改装として、常設で3000人の1番コートと、8面の室内コートしかつくれなかった。息子の限界かな。でも、この有明に、僕がいて、父がいてという愛着がある。それは心の底からうれしい。
◆東京五輪テニス競技 7月24日から8月1日まで、有明テニスの森公園を舞台に行われる。男女シングルスは各64人、男女ダブルスは各32組、混合ダブルスは16組が出場。6月14日の世界ランキングを基に、1カ国最大4人まで、男女シングルス各上位56人の出場が確定。日本選手は、男子では錦織圭、西岡良仁、ダニエル太郎、女子は大坂なおみ、土居美咲の代表が内定している。
◆テクニカル・デレゲート(Technical Delegate) 競技の運営責任者。テニスの場合、コート上で起こるルール的な判断はレフェリーの管轄。それ以外の、会場設営、競技進行、日程などを担うのがテクニカル・デレゲートだ。ツアーの大会の大会ディレクターに近い位置づけ。川廷氏は現在、日本で唯一のATPツアー公式戦、楽天オープンの大会ディレクターでもある。
◆川廷栄一(かわてい・えいいち)1933年(昭8)12月10日、兵庫・芦屋市生まれ。同志社大を卒業後、テニス写真家から79年アジアテニス連盟事務局長。81年国際テニス連盟理事に就任し、91年副会長。76年から10年間、ジャパンオープン(現楽天オープン)の大会ディレクターを務める。JOC副会長、国際テニス連盟副会長も歴任。13年8月3日死去。79歳。
◆川廷尚弘(かわてい・なおひろ)1970年(昭45)4月8日、兵庫・芦屋市生まれ。神戸学院大卒業後、国際テニス連盟の公認審判やレフェリーとして経験を積み、09年に楽天オープン大会ディレクターに任命される。日本テニス協会常務理事を経て、19年国際テニス連盟の理事に就任。現在は日本テニス協会副会長も務める。
■編集後記
川廷家には、お世話になりっぱなしだ。芦屋のご実家には、何度も足を運ばせていただいた。栄一氏がご存命時代、書斎に何度も足を運んだ。ご自身で「収集癖」と言われていたが、戸棚にはテニス関連の書籍、雑誌、パンフレットがぎっしり。テニスだけでなく、最初に買った自家用車のパンフレットまであった。
栄一氏に痛い目に遭ったこともある。記事の中に書いた08年北京五輪主催者推薦枠のことだ。ウィンブルドンで、錦織が同枠に選ばれたことをつかみ、ニュースを出そうとした。その直後、電話が鳴った。栄一氏だった。「もう知っているんだろ。今から理由を説明しに行くから、まだ原稿を出すな」。理由を聞くだけと思っていたら、川廷氏の横には日本の通信社の記者がいた。錦織の枠獲得は、川廷氏の発表として日本を駆け巡った。
尚弘氏は、栄一氏に似てきた。日本で最も国際舞台を熟知している一家だけに、大変だとは思うが、東京五輪のテニス競技の成功を祈りたい。【吉松忠弘】
(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)










