バスケットボール女子日本代表は96年アトランタ五輪の7位以来、20年ぶりに決勝トーナメントに進出した。その快進撃の陰に、元Jリーガーの“アシスト”があった。J1甲府など計8クラブでプレー経験のあるブラジル人元FW、マルセロ・バロン・ポランクジック(42)氏だ。同代表の現地通訳として同行し、現地での交通面や食事面などのアテンダントを主にこなし、ストレスなくこなせる環境作りの手助けを行った。

 「日本の力になるなら-」。きっかけは今年4月。甲府で監督をしていた塚田雄二氏の息子の結婚式に参加するために日本に訪れたことが始まり。結婚式でバスケット女子日本代表スタッフと知り合ったことが縁で、5月末に正式にオファーがきて快諾した。

 バロン氏は98年から06年まで日本でプレーした後、07年に現役を引退。以降、ブラジルで従業員28人をまとめ、レストランを経営していた。バスケットは子どもの頃に遊びでやっていた程度。通訳の経験もない。それでも快諾したのは、日本への愛着心だった。

 現役時代から熱心な勉強家だった。98年に甲府に加入した際は、毎日2時間日本語のテキストを熟読した。「(何も知らずに)長くいるとつまらないし、自分の国に戻りたくなる」と必死に日本を知ろうとした。努力は徐々に身になった。1年で短い会話を理解するまで成長。チームメートやスタッフらと覚えた日本語で会話をし、積極的にコミュニケーションを計った。99年に市原(現千葉)へ移籍した頃には、試合やミーティング以外の場では通訳を付けずに応対できるほど上達したという。そこから10年を経て、バロン氏は「日本のことが大好きなので」と再び日本に関われる喜びを感じていた。

 代表チームには7月24日の南米遠征から同行。5月に承諾してから、日本語の勉強をし直した。久々に話す日本語に苦戦しながらもやりがいを感じていた。ただ五輪本大会ではパスがないため、選手村には入れず、試合もベンチ観戦。基本的にはピッチ外の仕事に専念し、米や唐揚げなど選手村に持参できるものの買い出しを手伝い、時にはスタッフと現地のすし屋で日本食を紹介した。日本の女子バスケを見てバロン氏は「うまい。早くてみんなが1つになっている感じがある」と話す。1次リーグでブラジルと対戦した際も日本を応援。日本のチームの一員として最後まで務めを果たした。

 バロン氏は「いつかまた日本で仕事を出来るのを楽しみにしている」と青写真を描く。7月上旬までバロン氏は地元のU-20(20歳以下)のサッカーチームでコーチをしていた。今でもサッカーへの情熱は変わらず。遠い地球の裏側でインターネットを通じてJリーグの結果を常々気にしている。将来的に日本でのコーチ業を目指しているという。Jリーグが結んだ日本とブラジルの絆が意外なところで実を結んだ。【青木沙耶香】