山本です。伊豆ベロドロームで行われた全日本自転車選手権大会トラックレース取材に行ってきました。ナショナルチームはもちろん、大学、競輪選手などのプロ選手も参戦した、日本一決定戦です。

スプリントを制した深谷知広(中央)。タイムトライアルも破格の時計でした(撮影・山本幸史)
スプリントを制した深谷知広(中央)。タイムトライアルも破格の時計でした(撮影・山本幸史)

男子ケイリンは渡辺一成がV。アジア大会出場組の脇本雄太らを相手に意地を見せ、女子ケイリンは太田りゆが初優勝。男子スプリントは深谷知広が制しました。しかも、予選のタイムトライアルで大会新となる9秒839をたたき出し、観衆の度肝を抜きました。詳しくは9月末の紙面で自転車競技情報をお届けしている「ROAD TO 2020」でもお伝えします。

最終日に衝撃が走りました。女子スプリント10連覇を達成した前田佳代乃(27)が突然「すみません、今日で引退します」と引退を発表。ナショナルチーム内でも、一部にしか知らせていなかったそうです。

優勝インタビュー中に電撃引退を発表した前田佳代乃。10連覇して20年の競技者生活を終える(撮影・山本幸史)
優勝インタビュー中に電撃引退を発表した前田佳代乃。10連覇して20年の競技者生活を終える(撮影・山本幸史)

前田は12年ロンドン五輪スプリントに出場したほか、長らく女子短距離界をけん引してきました。しかも、ガールズケイリン選手ではなく、自らスポンサーを集める「プロ選手」として活動。いばらの道をかき分けながらトップに君臨してきた、いわば“レジェンド”は「競輪選手にならないとナショナルチームとして活動できないということを覆したかった。これで1つの選択肢を残せたかな」と自らの軌跡に胸を張っていました。

東京五輪(オリンピック)まで2年を切ったタイミングでの引退の理由は2つ。先月のアジア大会ケイリン13位の現実を受け止めたこと、一緒に汗を流してきた後輩の台頭だと言います。

「この年なのである程度は考えていたけど、アジア大会で決心がついた。プレッシャーかもしれないけど、今は2人(小林優香、太田りゆ)がいるので。(石井)寛子さんから引き継いだバトンを引き継いでもいいのかな、と。東京五輪は出るだけなら出られると思う。でも、メダルは取れない。それなら早めに次のステップに行くのもありかなって」。決意を秘めて挑んだ決勝は、今後を託す太田りゆを下して10連覇。超えなければならない壁を残してバンクを去ります。

「大学に入ったのも指導者になりたかったから」と、今後は女性コーチとして日本代表を育て上げる夢を追いかけていきます。まだ20代。10連覇ですっぱり自転車を辞めるなんて、最後の最後まで「らしい」人でした。

ときおり涙声になりながら、努めて冷静に言葉をつないでいましたが、優勝者だけに与えられるチャンピオンジャージーを見つめたときだけは「最後にこれが着られて良かった」とほほえんでいました。20年の自転車競技生活、本当にお疲れさまでした。【山本幸史】