競輪S級1班の諸橋愛選手(新潟)が死去した。22日、JKAが発表した。49歳。諸橋選手は12日の奈良競輪準決勝11Rに出走。最終周回の2センターで前団のアクシデントに巻き込まれる形で落車。すぐに病院に搬送され、治療を続けていたが頸髄(けいずい)損傷による多臓器不全のため、21日午前2時14分に亡くなった。
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「名前と顔に似合わずシビアな競走をする選手だね」
記者も周りの競輪ファンも、諸橋君にはこんな印象を抱いていた。1998年(平10)の秋から4年半、競輪を担当していた時代、ちょうど売り出し中だった。アイドルのような名前と、やさ男のような風貌と、仕事は別だった。
競走では地域戦ともいうべき「ライン」を組む。新潟は関東8都県でひとくくりの中でも少数派。埼玉県と東京都の「埼京」、栃木県と茨城県の「栃茨」と違い、群馬県、山梨県、長野県の「上甲信越」4県でまとまる。地域的に選手数が少なく、浮き駒になりがちだった。
先頭で風を切って走る先行選手、その後の2番手を回るマーカーではなく、ラインの3番手を回って最後の直線で内を突いてきた。単騎の時は、ゴール前で狭いスペースを見つけて中を割ってきた。たまに先行選手の後ろを回って2番手にいると、後方からまくってきた別ラインの選手を自分の頭や肩、肘で文字通り「身をていして」厳しく止めて援護して、ゴール前できっちりかわしていた。
最後まで在籍していたトップのS級時代と違い、1クラス下のA級時代はラインの先頭で戦っていた。最後の2周でも1周でも積極果敢に先行というタイプではなく、最終周回の途中で好機にスパートするまくり追い込み型。それでも、最後の瞬発力を買われて「諸橋の後ろ、回れますよね」と信頼してマークしてくれる他地区の選手はいた。
記者も信頼していた。横浜市の花月園競輪場があった20世紀に、たまたま全レース本命(◎)にした選手が1着に来た。最後のレースは、諸橋君のまくり追い込みが決まった。
S級に昇級したのと相前後して、2000年(平12)6月に小橋正義さん(引退)が岡山県から新潟県に移籍してきた。ホームバンクの弥彦競輪場で練習した時に遭遇した。「冗談でまくったんですよ。あっという間にまくり返されました。練習でも負けるのが嫌いなんですね。手を抜いてくれないんですもん」。96年の立川グランプリをはじめ、G1を8度制し「名刀マサヨシ」と呼ばれた。その鬼足を肌で感じるとともに、勝ちにこだわる姿勢を学んだという。それをこれまで実践してきた。
01年夏に青森競輪場で開催されたG1寛仁親王牌で、この話を聞いた。優勝したのは、小橋さん。新潟に移籍して初めてのG1制覇だったから、今でも覚えている。
同年秋の岐阜オールスターでは、今年7月にやはりレース中の事故で亡くなった伏見俊昭君がG1で初めて優勝している。諸橋君、何もその後を追いかけることはないじゃないか。
いずれ優勝できる選手だからと注目して、25年前には記者として検車場を動き回り、オールスターのファン投票に記名もした。今も車券を買って応援していた。年下の仲良し選手が亡くなるのはつらい。【98~03年競輪担当・赤塚辰浩】





















