1986年W杯メキシコ大会でアルゼンチン代表を優勝に導き「神の子」と呼ばれたディエゴ・マラドーナ氏が25日、ブエノスアイレス郊外の自宅で死去した。同国メディアによると、心不全を起こしたという。10月30日に60歳になったばかり。栄光と挫折の明暗が色濃い、波瀾(はらん)万丈の人生だった。

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JFL松江シティFCでGMを務める田中孝司氏(65)は、日本代表として82年1月24日、ゼロックス杯で来日したボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)時代のマラドーナ氏と対戦した。

「スピードもボール扱いも修正力も全然違った」。試合後に駆け寄り、ジェスチャーとともに「チェンジ、プリーズ」と話しかけると、快く背番号10のユニホームを交換してくれた。

そのユニホームはもう、手元にはない。11年の東日本大震災の際、復興支援のためチャリティーオークションに出品したという。04年から2年間はJ1仙台でGMを務めたことがあり、知人から物資を送って欲しいという連絡も届いていた。「困っている人がたくさんいた。(手放すことに)ためらいはなかった」。

個人での出品ではなかったため、売れた値段や誰の手に渡ったのかはわからないという。「買ってくれた方に感謝しています」。かつてのマラドーナ氏の厚意が、被災地への寄付にもつながった喜びを口にする。突然の訃報には「本当に驚いた。ご冥福をお祈りします」と静かに話し、約38年前の国立のピッチに思いをはせた。【岡崎悠利】