【光州=益田一弘】女子3メートル板飛び込みで、三上紗也可(18=米子DC)が東京五輪内定を確実にした。

予選8位、準決勝7位で通過。12人で争う19日の決勝で棄権などがなければ正式に代表になる。今大会では、男子シンクロ種目の寺内・坂井組、女子高飛び込み荒井に続く3組4人目。日本では珍しいジャンプ力が武器のパワー型。今春の高校卒業後、進学しないで競技に専念する18歳が、初の五輪切符を手にする。

三上は、最後の5本目で「水に入った瞬間、うまくいったとわかった」。ジャンプ力を武器に東京切符。小4から指導を受ける安田コーチに「おめでとう」と祝福された。「安田先生は(96年アトランタ)五輪にあと1歩届かなかった。先生の気持ち、私の思いも合わせた結果です」。

高2の冬。安田コーチに「友達とは全然違う人生になるが…」と進学しない道を提案された。言葉につまったが、同コーチの「退路を断つ。何かを捨てなきゃいけない」という言葉に納得した。高校教員を辞めて3年前からマンツーマンで教えてくれる姿に「私も飛び込み一本」と腹をくくった。鳥取県の支援を受けて、練習は高校時代の倍にあたる6時間。「学校に行く時間を飛び込みにあててそれ以外は筋トレ」。

日本では珍しいパワー型。安田コーチは、最初の印象を「『暴れ馬』みたい。ものすごく不器用で筋力が強かった。そしてコツコツ努力できる」。ノートに注意点を書き、試合中に確認する。学校を休みがちでも勉強を欠かさず成績は校内トップクラスだった。高3の夏に練習で板に頭をぶつけて記憶障害も起こしても、続けた。安田コーチは「彼女に犠牲を強いてきた。形になってよかった」。

鳥取県は64年東京五輪男子高飛び込み8位の大坪敏郎を輩出。その“孫弟子”が安田コーチにあたる。小学校でもらった飛び込み教室のビラから始まった三上の物語は、1964年と2020年をつなぐ東京五輪の物語でもある。三上は「飛び込みは自分にとって運命の競技になったと思います」と柔らかく笑った。

◆三上紗也可(みかみ・さやか)2000年(平12)12月8日、鳥取県生まれ。小2から競技を始めて小4で安田コーチに師事。今春に米子南高を卒業。県強化選手として競技に専念。18年ジャカルタ・アジア大会はシンクロ種目で出場。同年9月に日本選手権初優勝。155センチ、53キロ。