米プロバスケットボールNBAで一時代を築いた元スター選手のコービー・ブライアント氏が26日、死去した。41歳だった。

地元メディアによると、米ロサンゼルス近郊で搭乗中にヘリコプターが墜落。13歳の娘ジアナさんを含む9人全員が亡くなったという。レーカーズ一筋で16年までプレー。怪物センターのオニールとのコンビで達成した3連覇を含む5度のリーグ優勝、NBAファイナル2度のMVP、2度のオリンピック(五輪)金メダルなど、数々のタイトルを獲得した名選手が若くしてこの世を去った。

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NBA史に残る名選手が、悲運の最期を迎えた。地元紙ロサンゼルス・タイムズ電子版によると、26日の午前9時6分にジョンウェイン空港を出発したヘリコプターは、10時ごろにロサンゼルス西部の山に墜落したと報じた。米ESPN電子版ではパイロットと航空管制官のやりとりを録音したテープを入手。9時47分にパイロットが霧で視界が悪かったためレーダーでの誘導を依頼した。だが「高度が低すぎてレーダーに反応できない」との返答があり、2400フィート(約732メートル)上昇したが左にそれながら墜落したという。約72キロのスピードで落下したと伝えた。

憧れていた「神様」マイケル・ジョーダンをほうふつとするプレースタイルで絶大な人気を博した。当時では珍しい高卒からの入団。96年にデビューし、19歳だった翌年はチームで控え選手だったが、オールスターに史上最年少でのファン投票で選出された。先発のコートに立ち、派手なプレーで観客を沸かせた。

00年には名実ともに「ジョーダンの再来」となった。ファイナル第6戦、3点リードの残り2・5秒にファウルを受けてフリースローを獲得し2本とも成功させた。決めれば自身初の優勝とプレッシャーのかかる中、ボールがネットをくぐるまでシュートを放った右腕を掲げたままの姿は、98年のファイナル第6戦で逆転の決勝点を決めたジョーダンそのもの。NBAを背負うスターが誕生した瞬間だった。通算5度のリーグ制覇など輝かしい成績を残したが、現役晩年は負傷に悩まされた。16年4月13日の引退試合では、37歳で60得点を記録。最後まで魅了し続けた。

自身の後継者だと認めたジョーダン氏は「言葉では言い表せない痛みを感じている。彼は弟のような存在だった」と悲痛な思いを表明した。バルセロナFWメッシとユベントスFWロナウド、大坂なおみら、多くの著名人も悼んだ。バスケ界の枠を超えた名プレーヤーの早すぎる死は、世界中に衝撃を与えた。

◆コービー・ブライアント 1978年8月23日、米フィラデルフィア生まれ。6歳の時にNBA選手だった父ジョーの移籍にともないイタリアへ移住し、7年間過ごした。高校はフィラデルフィアのローワー・メリオン高校に進学。3年生時の96年にホーネッツからドラフト1位指名(全体13位)を受け、直後にトレードでレーカーズ入りした。5度のリーグ優勝、NBAファイナルで2度のMVP、最長となる17年連続オールスター出場し、歴代最多4度のMVP獲得など、数々のタイトルを獲得。06年1月には歴代2位の1試合81得点をあげた。五輪では米国代表として08年北京と12年ロンドンの2大会連続で金メダル獲得に貢献した。16年に現役を引退。つけていた背番号「8」と「24」は永久欠番。レーカーズの本拠地があるロサンゼルス市は、背番号にちなんだ8月24日を「コービー・ブライアントの日」とした。名前(Kobe)は両親が行ったレストラン「神戸」や食べた神戸牛が由来とされる。198センチ、96キロ。父76ersなどで活躍。日本のbjリーグ東京の監督を務めていた。娘は4人で、亡くなったジアナさんは次女。

<ブライアント氏の主な記録>

▽リーグ優勝5度

▽シーズンMVP1度

▽ファイナルMVP2度

▽得点王2度

▽オールスター出場18度(歴代2位)

▽オールスター18年連続出場(最長記録)

▽オールスターMVP4度(歴代1位タイ)

▽五輪金メダル2度(08年北京、12年ロンドン)

▽レギュラーシーズン通算3万3643得点(歴代4位)

▽1試合81得点(歴代2位)