先日、あの「裸の男」に会ってきた。

開会式で上半身裸姿でサモアの旗手を務めたスケルトン男子のネーサン・クランプトン。「コンニチハ!」。こちらが日本からきたと自己紹介すると、弾んだ声が返ってきた。

「大丈夫だったよ!」。満面の笑みで開会式を振り返った。マイナス4度の中でサモアからのただ一人の代表として、マッチョな体を見せつけるように、堂々と旗を掲げた。

「サモアに戻って出場するので伝統的な衣装を着たかったんだ。ポリネシア文化を象徴するようなもので。あれは東京五輪の時の衣装にとても似てるんだよ。とても楽しかったね」。

寒さは関係ない。サモアへの感謝もあっただろう。ケニアで生まれ、家族の仕事でさまざまな国で暮らした。米国に住んでからは、3段跳びで08年北京夏季五輪の代表候補にもなった。10年バンクーバー五輪でスケルトンを知ると、翌年から競技を開始。米国代表を狙ったが、チーム内での衝突もあり、18年平昌五輪を逃した。

そこを救ってくれたのがサモアだった。家系をたどると、母方の祖母の先祖にポリネシア地方のルーツがあった。サモアの五輪委員会に連絡すると、快諾してくれた。そして、ついに冬季五輪の場に立った。昨夏には強化の一環だった陸上の男子100メートルで東京五輪にも出場している。だから「コンニチハ!」だった。

裸といえば、東京ではバヌアツとツバルも上半身裸。ロンドン五輪ではフィジーの柔道家ジョサテキも裸。何より話題になったのは、平昌でのトンガ代表のピタ・タウファトファだろう。今大会は欠場しているが、クランプトンの姿にSNSで反応。「とりでは守られた」とコメントした。

「うれしかったよ。ピタはとても有名なオリンピアンだよね。一緒に支援になっていればいいな。伝統を引き継げて良かったよ」。

海底火山の噴火が起きたトンガとサモアは約900キロほどの距離。ポリネシア文化をまとうことで、いまも被害に苦しむ人々に少しでも関心を持ってもらいたかった。

この舞台に立つには、二刀流の難しさもあったという。

「本当に難しかったね。去年の夏が終わってから、休む暇がなかった。でも、2つの大会に出るチャンスがあるなんて最高だよね」。

この日のスケルトン男子1、2回戦を終えて20位。11日に結果が決まる。メダル候補とは言えないが、その言動には楽しさがあふれ出していた。

「東京は驚きだったね。ほんとにまた訪れたいよ。コロナが終わったら行きたいね」。

最後に写真を求めると「日本のスタイルだよね」とピースサインで応じてくれた。【阿部健吾】