小平奈緒(35=相沢病院)は17位に終わり、メダルを逃した。記録は38秒09だった。平昌五輪金メダルに続く2大会連続のメダル獲得が期待されたが、及ばなかった。

オランダ語で言う「Boze kat(ボーズ・キャット)」。いつもの肩を上げた「怒ったネコ」のスタートポーズから、勢いよく飛び出した。インスタートのゴリコワ(ROC)に遅れるなど、体が重くスピードに乗れないまま。4年前の姿はなく敗れた。

「人より、ちょっとスローな競技人生を歩んでいる」。2010年バンクーバー大会を皮切りに4大会連続の五輪出場。23歳で迎えたバンクーバーの団体追い抜き(パシュート)で銀メダルを獲得しているが、個人のメダルは31歳だった18年平昌大会で初めて手にした。500メートルで3連覇を狙った李相花を抑えて優勝。31歳での優勝は、冬季五輪の日本選手団で最年長となった。敗れて涙する李を抱き寄せたシーンは大きな話題となった。また、1000メートルでも銀メダルを手にした。

そして35歳で迎えた北京大会。信州大時代から指導する結城匡啓コーチは、小平に肉体の衰えはないと太鼓判を押していた。左股関節の違和感の影響で20年12月、シーズンまっただ中にもかかわらず一時、実戦を回避して陸上トレーニングで調整するという異例の選択を取った。その効果もあって、今季はW杯の500メートル、1000メートルで優勝を経験するなど安定して表彰台に立った。4年スパンの五輪に向け、状態は出来上がっていた。

長野・伊那西高校時代、実業団からの誘いを断り、猛勉強の末に信州大へ進学した。ソチ五輪で勝てず、2年に及ぶオランダ留学も経験した。解剖学、栄養学を学び、古武術にもヒントを探した。速くなるためなら何でも試した。常に考え、実践することをやめない小平。35歳という今も、速さへの追求をあきらめない。メダルには届かなかったが、その挑み続けた過程には大きな価値がある。