アルペンスキーでパラリンピックに5大会連続出場し、4大会連続でメダルを獲得している森井大輝(38=トヨタ自動車)が、パラ・パワーリフティングで20年東京大会出場にチャレンジする。コロンビア・ボゴタで現地時間6日から開催される米大陸オープン選手権の65キロ級にエントリー。これまでもスキーのトレーニングとしてバーベルに親しんできたが、今年から本格的に選手活動を始め、スキーとの二刀流で“夏冬パラリンピアン”を目指す。


練習で必死にバーベルを上げる森井(撮影・滝沢徹郎)
練習で必死にバーベルを上げる森井(撮影・滝沢徹郎)

分厚く盛り上がった大胸筋と丸太のような上腕は、完全にパワーリフティング選手の体だった。森井は11月29日に都内で最終調整を行い、実戦を想定した試技で自己ベストの137・5キロに成功。15年に城隆志がマークした65キロ級の日本記録138キロに迫る重量に「練習で上がらない重さは試合でも絶対に上がらない。ボゴタでは135キロを目標にしたい」と自信を膨らませた。

アルペンスキーの座位で3度のW杯総合優勝を誇るが、パラリンピックでは勝てていない。今年3月の平昌大会でも滑降の銀メダルだけにとどまった。「22年北京へよりバージョンアップした状態で臨むためには、その前に高い目標を自分に課して進化していかなければならない。それがパワーリフティングで20年東京を目指すことでした」。4年後の北京大会で悲願を実らせるために選んだのが、大胆な夏冬二刀流だった。

38歳。スキー競技歴は20年になる。今後は身体能力の衰えとも闘っていかねばならない。これまでは毎シーズン、W杯や世界選手権で結果を残すことに注力してきたが、単調になりがちな生活に大きな変化と刺激を加えることで、アスリートとしてさらなる向上を図っていく。

東京出場に直結するランキングレースは昨年12月から始まった。今年の各大陸選手権と来年の世界選手権に出場することが絶対条件で、さらに各種国際大会で記録を伸ばしていかなければならない。世界中の強豪と競いながら20年5月の時点でランキング10位以内、記録としては160~170キロが目安とされる。


3月、平昌パラリンピックのアルペンスキー男子滑降座位で2位となった森井
3月、平昌パラリンピックのアルペンスキー男子滑降座位で2位となった森井

森井のパワーリフティング選手としてのスタートは今年5月の国内大会、チャレンジ杯(京都)だった。結果は120キロで4位。東京への道が厳しいことは間違いないが、それでも森井を指導して5年目の大谷進トレーナー(66)は断言する。「大会に出るための練習を始めたのは今年の平昌が終わってから。集中力、瞬発力はこの競技に向いているし、練習での記録の伸びを考えれば160キロは十分上げられるでしょう」。

今回の米大陸オープン選手権が2度目の大会出場になる。12日に帰国予定だが、15日には欧州に渡ってスキーのW杯転戦を予定する。「体が大きくなって体重が5キロ増の67キロ。減量しなければならなくなりました」と笑った森井は、表情を引き締めて言葉をつないだ。「あらゆる可能性に挑戦したい。東京を目指すことは大きな刺激、カンフル剤になる。冬季競技の自分が鍛え方次第で夏でも通用するようになることも挑戦です」。コロンビアで目標の135キロに成功すれば、東京パラ・ランキングでは130キロの佐野義貴を抜いて日本トップに立つ。【小堀泰男】


練習でバーベルを上げる前に集中する森井
練習でバーベルを上げる前に集中する森井

◆森井大輝(もりい・たいき)1980年(昭55)7月9日、東京都あきる野市生まれ。4歳から家族とスキーを始め、モーグルに熱中した。高校ではアルペンで全国総体出場を目指したが、2年時にオートバイ事故で脊髄を損傷。病室で98年長野パラリンピックの競技を観戦し、大日方邦子らの滑りに感動してシッティングスキーを始める。アルペンの座位LW11クラスでパラリンピックには02年ソルトレークシティーから今年の平昌まで5大会連続出場。14年ソチ大会では日本選手団主将を務めた。国際パラリンピック委員会(IPC)主催のW杯で11-12シーズンに初の総合優勝。15-16、16-17シーズンには日本選手初の総合連覇を飾った。13年世界選手権では大回転、スーパー大回転、複合で3冠。


◆パラ・パワーリフティング 下肢(下半身)に障害のある選手が、上半身の力を使ってベンチプレスでバーベルを持ち上げ、その重量を争う競技。障害の程度や種類によるクラス分けはなく、試合は体重別に行われる。切断の選手はその分、体重が軽くなるため、切断の範囲に応じて体重に一定の重量が加算される。階級は男子が49キロ級~107キロ超級、女子が41キロ級~86キロ超級の各10階級。3回の試技で持ち上げた重量に従って順位が決まる。東京大会では男女20階級に出場枠は180人で、1階級に最多10人まで出場できる。1964年の東京大会から正式競技。


◆20年東京大会への道 昨年12月の世界選手権(メキシコ)から出場に直結するパラリンピック・ランキングが設定された。同大会に加えて今年の各大陸別選手権、来年7月の世界選手権(カザフスタン)に出場することが最低条件になる。さらに各種国際大会でより重い重量を挙げてランキングを上昇させることが必要。20年5月の時点のランキングで男子は10位以内、女子は8位以内が出場の目安になる。地域枠、開催国枠等は設けられておらず、国際パラリンピック委員会(IPC)がランキングを基に出場選手を最終決定する。昨年12月の時点でIPCに未登録の選手も、今年から条件を満たせば出場可能で、森井はこのケースになる。


日本パラ陸上選手権男子走り高跳び(切断などT44)で1メートル80センチをクリアする成田
日本パラ陸上選手権男子走り高跳び(切断などT44)で1メートル80センチをクリアする成田

■成田緑夢は走り高跳びで

平昌冬季パラリンピックのスノーボード男子バンクドスラローム下肢障害金メダルの成田緑夢(24)は、20年東京パラリンピックに陸上の走り高跳びで出場を目指す。

平昌大会後、パラリンピックの冬季競技からの引退を表明。夢である「夏冬五輪・パラリンピック出場」を目指し、左足まひの障害が不利にならない競技を模索していた。自身で競技団体に電話して情報を集め、カヌーや射撃、ゴルフなど約10競技に挑戦。15年から始めた陸上では、今年7月の「ジャパンパラ陸上」の走り高跳び(下肢障害などT44)で自己ベストに5センチと迫る1メートル75で優勝した。先月、東京大会出場の可能性が最も高い競技として陸上を選んだ。走り高跳びの同じクラスには、パラリンピック5大会連続出場で2メートル02の記録を持つ鈴木徹がいるが「出られるだけで120点。今から間に合うのか僕もワクワクする」と前向きに語った。

当初、東京五輪も狙っていたが「間に合わない」と判断し、24年パリ五輪に射撃で出場を狙っている。


■主な夏冬パラリンピアン

◆土田和歌子 98年冬季長野大会のアイススレッジスピードスケートで金銀各2つのメダルを獲得。99年に車いす陸上に転向。00年夏季シドニー大会でマラソン銅、04年アテネ大会では5000メートルで金、マラソンで銀を獲得して日本人初の夏冬パラ金メダリストに。現在夏季5大会連続出場。20年東京大会を目指してトライアスロンに挑戦中。

◆久保恒造 車いすマラソンで活躍していたが、07年にクロスカントリースキー(座位)を始め、10年冬季バンクーバー大会出場。12-13年にW杯バイアスロン年間王者。14年ソチ大会でバイアスロンショート銅メダル。14年に再び車いす陸上に転向。16年夏季リオデジャネイロ(リオ)大会の5000メートルとマラソンに出場したが入賞を逃した。

◆山本篤 08年夏季北京大会の走り幅跳びで銀メダルを獲得し義足陸上競技初の日本人メダリストに。13、15年の世界選手権で連覇、16年リオデジャネイロ大会でも同種目で銀、400メートルリレーで銅メダルを獲得。18年冬季平昌大会はスノーボードで出場したが入賞を逃した。20年東京大会では「本職」の走り幅跳びで悲願の金メダルを目指す。

◆鹿沼由理恵 10年冬季バンクーバー大会で視覚障害クラスのノルディックスキー距離のスプリントクラシカル1キロ7位、リレー5位など出場4種目で入賞。その後、練習中に左肩脱臼でスキーを断念して、脚力を生かして自転車に転向。14年世界選手権タイムトライアルで優勝し、16年夏季リオ大会でタンデム(2人乗り)のロードタイムトライアルで銀メダル。

◆佐藤圭一 生まれつき左手首から先がなかったが、25歳で距離スキーを始め、10年冬季バンクーバー大会でノルディックスキー距離リレー5位。14年ソチ大会は10位が最高。その後、心肺機能強化のためトライアスロンに挑戦し、16年夏季リオ大会で11位。18年に再び冬季の平昌大会に出場してバイアスロン15キロで8位入賞。